つなワタリ@捨て身の「プロ無謀家」(@27watari)です。今回は全国各地で人気の「さつまいものお菓子」を紹介します。他にもたくさんあると思います。おすすめのさつまいもスイーツがありましたらご連絡ください。
さつまいものお菓子に興味がある人……さつまいものお菓子について調べてみました。干しいもだけでもいろいろな種類があるようです。なにかの参考になれば幸いです。
【目次】本記事の内容
干しいもの発祥の地は静岡県、そして発展の地は茨城県
さつまいもを蒸してスライスし、乾燥させたものは「蒸切干(むしきりぼし)」や「甘藷蒸切干(かんしょむしきりぼし)」と呼ばれていました。諸説ありますが、これが干しいもの正式名称のようです。
一般的な地域によってさまざまで、ほかには「するめいも」「いもするめ」「きっぽし」「いもかち」「乾燥芋(かんそういも、かんそいも)」「ほし」「いも切り」「きんこ」などと呼ばれていたようです。日露戦争時には野戦食(劣悪な環境での保存性に優れ、摂取カロリーが高い食料)として重宝されたこともあり、「軍人いも」「軍事いも」などとも呼ばれました。
干しいもが一般に販売されるようになったのは江戸時代後期で、発祥の地は遠州(現在の静岡県御前崎市)といわれています。その原点は「いもじいさん」の愛称で語り継がれている大澤権右衛門の活躍によるものでした。
「大澤権右衛門は御前崎沖で座礁した薩摩藩の御用船『豊徳丸(とよとくまる)』を救け、その御礼としてさつまいもの栽培方法を教えてもらった」
引用:「伝説のヒーロー、ふたりの「いもじいさん」の活躍を知っていますか?」(御前崎市プロモーションサイト UMICO)
https://omaezaki.net/topix/legendary-hero-two-pot-man/
その後、1824年に栗林庄蔵が煮切干での製造に成功し、1892年頃には静岡県の大庭林蔵と稲垣甚七が蒸切干の製法を実用化しました。
参考
・「干し芋の歴史」(ほしいも学校)
http://www.hoshiimogakko.com/archive/hosiimo_history.html
・阿字ヶ浦と干し芋の歴史(茨城県ひたちなか市干しいも販売・株式会社マルヒ)
https://www.maruhi.co.jp/ajigaura-hoshiimo-history.html
1908年頃に静岡県から茨城県ひたちなか市に伝わり、1955年には茨城県が総生産量で首位となりました。現在は総生産量の約9割が茨城県で生産されています。干しいもは収穫後に乾燥に適した潮風が吹く場所で作られることが多く、静岡県浜松市から御前崎市、茨城県ひたちなか市や東海村周辺が相応しい場所とされています。
干しいもに使われている品種は、95%が「タマユタカ(玉豊種)」です。他には「泉13号」「ヒタチレッド(ヘルシーレッド)」「タマオトメ」「ハマコマチ」などが使われています。また、静岡県では肉色が橙色の「しんや」、三重県志摩地方では「隼人いも」などが使われています。
干しいもの基本的な作り方
基本的に秋にさつまいもを収穫した後、キュアリング処理(温度差を活用して皮を強くし、病気を予防する処理)を行い、11月下旬ころから加工を始めます。まずは水洗いし、芋を選別した後に蒸します。だいたい90〜95度の蒸気に1〜1.5時間ほどかけて蒸し上げます。その後、皮を剥き(竹ヘラやナイフを使用することが多い)、ピアノ線を張った器具で厚さ1センチ程度にスライスしてから干します。乾燥の目安は10度以下で約1週間の天日干しですが、現在は機械で行われています。乾燥が終了したら、選別して販売となります。形状の基本は平切りですが、切らずにそのまま干した「丸干しいも」やサイコロ状、スティック型などもあります。
茨城新聞動画ニュースにて「特産の干し芋作り最盛期」というタイトルでひたちなか市馬渡の加藤友也さんの作業の様子が紹介されていました。加藤さんは昔ながらの方法を守ってらっしゃるようで、皮も手で剥き、ハウスを活用して天日干しされていました。めっちゃ美味しそうな動画です。ぜひご覧になってください。
◯御前崎の干しいも
静岡県遠州地方では干しいものことを「いも切干」「キンリー」などと呼び、親しまれています。最初の干しいもは、生いもを薄くスライスして天日干しにし、その後に臼でひいてから粉と水を混ぜて団子状にして販売されていました。名称は「お日和芋(おひよりいも)」と付けられたそうです。その後、1800年半ばになってから「煮切干」という現在の干しいもの原型といえるものが作られました。そして1900年頃に現在の「蒸す・皮むき・カット・干す」と同様の製法が導入されました。
◯静岡県磐田市の軍人いも
江戸時代からさつまいもの産地として御前崎が有名でした。その後、明治時代に入ってから、磐田市も産地として有名になっていきます。1894年に日清戦争が始まった際に当時の村長は干しいもの納入を陸軍に申し出ました。しかし、味に均一性がないことで断られてしまいました。そこで村長は奮起し、品質の統一に力を注ぎました。そして1904年に日露戦争が始まった際に再度売り込み、安定した味で良品へと進化した干しいもは軍にも喜ばれる存在となりました。軍は積極的に干しいもを買い入れ、戦地に送ったそうです。そんなことから磐田市周辺では「軍人いも」「軍事いも」「軍用いも」などと呼ばれるようになりました。
◯志摩半島の「きんこ」
リアス式海岸の志摩半島に点在する漁村、そして漁村の裏山には昔からさつまいも畑が広がっていた。鳥羽市、志摩市、大王町、志摩町では、紀伊山地からの吹き下ろす風で、光沢のある赤褐色の干しいもが作られました。志摩町では干しいものことを「きんこ」と呼び、それが地域一帯に広がっていきました。一節によるとナマコの乾物「金ん子(きんこ)」からきたという説もありますが、定かではありません。たしかに形状が似ているためにそのように呼ばれた可能性はありそうです。使われた品種は「隼人いも」で、カロテン含量がニンジンの2倍もあり、健康食品のような扱いでもありました。
「志摩地域に伝わるきんこ芋産業を盛り上げたい!」と、きんこ芋作りに情熱を注いでいるきんこ芋工房・上田商店さんのインタビューです。
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