つなワタリ@捨て身の「プロ無謀家」(@27watari)です。
気になった謝罪文の実例を収集してアーカイブしている記事です。謝罪するようなことが起きないことに越したことはありませんが、もしご自身や仲間に何かが起きた時に参考にしていただければ。
【目次】本記事の内容
基準値の最大3700倍のレジオネラ属菌が検出された「大丸別荘」
2023年2月、福岡県筑紫野市の老舗旅館「大丸別荘」が大浴場の湯を年2回しか入れ替えず、さらに消毒用の塩素注入も怠っていた問題が事実しました。
保健所の検査では基準値の最大3700倍のレジオネラ属菌が検出されたそうです。
こちらが謝罪会見の様子です。
ホームページでの謝罪文はこちらです(画像を別画面で開くと拡大されます)。
引用:お客様各位(大丸別荘/2023年2月24日)
https://www.daimarubesso.com/
魚拓URL:https://archive.is/zwV2X
念のために文章を残しておきます。
お客様各位
本日の報道をご覧になられたお客様には、大変ご心配をお掛けしており、
誠に申し訳ございません。
報道の内容については事実でございます。
保健所の指導の下、改善を行い、12月末より換水清掃および塩素注入の体制を整え、
基準を満たした上で大浴場の営業を再開しております。
ご予約を頂いておりますお客様には大変ご迷惑とご心配をお掛けしております。
取り急ぎ、お詫び申し上げます。
・ ・ ・
そして……矢面に立った運営会社の社長だった山田真氏は辞任し、3月12日朝に遺体で見つかりました。
近くには遺書のようなメモがあり、「申し訳ない すべては自らの不徳の致すところ あとは頼む」という内容が手書きで書かれていたということです。警察は自殺とみています。
この報道を受け、ネットではどのような声が多いのでしょうか。
大浴場の湯を入れ替えなかった「大丸別荘」の元社長の自殺に対する声
厳しい声が多いのか、はたまた……ネットの声が気になります。
<「大丸別荘」の元社長の自殺に対する声>
・誰もが想像しなかった悲しい結末になろうとは・・・。年2回しかお湯変えしなかった事は良くなかったですが、自らの命を持ってまで責任取るのは責任の取り方を何より間違えている。もっと的確な対応策もあった筈。それに今回の件で亡くなった人や命に関わりある犠牲者がいた訳ではないです。もう少し冷静に自らの命も大切に考えながらの責任の取り方は必ずしもあった筈
・幸いにも死人は出なかった。なら生きて反省をし改善するべきところはして再出発を図るべきだった。残された家族と社員はどうなる
・責任の取り方間違ってるよね。残された人達がどれだけ大変な想いをするのか考えなかったのかな。少なくともこのケースでは、こういう罪の償い方はすべきじゃなかったと思う
・死んでお詫びではなく、生きて経営者として反省をし、信頼の回復を図るべきだった
・亡くなられて非常に残念です。旅館に対する責任の追求などから守りたかったのかもしれませんが、責任の取り方が間違っています。責任を取るなら矢面に立ち、真摯に答えて謝罪し続けて反省や改善された事を伝え続けていく必要があったでしょう
・エェーッと驚く結末である、昭和天皇も宿泊された老舗旅館である、だから、業としてトップとして条令は厳守すべきであったと思う
・擁護するわけではないですが、顔も晒され、目にするあらゆるところで叩かれ想像出来ないほど精神的に追い込まれてたんでしょう
・旅館経営は大変ですよね。日本人は温泉が好きだけど、普通に考えて、衛生管理を徹底するにはお金がかかるし、レジャーに行ける体力、資金力がある人に対して旅館数が多すぎるのかも。やはり、日本は格差を小さくしないと、経営が厳しいところが日本各地のいろいろな産業でありそう。元社長にはお悔やみ申し上げます
・確かに責任は大きかったとは思うけど・・こういう結果はとても
残念に思う・・・
・死んだ人に鞭を打つ様だけど、これは「責任から逃げた」だけですね
・ここには行ったことないけど、バブル期に作られた大浴場ならかなりの水道代と燃料代になるだろう。コロナ禍で客足が減っていたなら、思い切って大浴場を閉鎖すれば良かったのに
・「湯の入れかえや塩素注入」さえ適切にやっていたら、死ななくてもよかったのに
・死なないで欲しかったです。どんなバッシングがあったのか、どれだけ罪の重さを感じたのかわかりませんが、生きて再建をしてほしかった
・確かにお風呂の件は、許せないことです。けど、残される家族のことを考えてほしかったです。それにもっとひどい犯罪をしても白を切る人はいます。なんか死ななくても良かったのでと思います。合掌
・あまりにもの問題の重圧に精神的に押しつぶされてしまったわけだなぁ‥
・相当に責められて精神的に追い詰められたのでしょうかね
・自殺すること=責任を取ったという考えは絶対違うだろう。今回の件、ツラくてもきちんと罪に向き合って、生きて償いをすることが責任を取るという唯一の方法ではないのか
・ご冥福を祈ります。この方も経営者にならなければ、こんな最後を迎えることは無かったんだろうが
・大企業等後ろ盾のある者には忖度して報道を控えるけど、後ろ盾のない者には叩きまくるマスコミの格好の餌食になったからね
・残された従業員達が困惑するだろうし、後味悪すぎますね
・死者を鞭打ちたくないけど、従業員や関連業者からしたら、どこまで無責任な奴だって話でしょう。そんないわくのついた旅館、誰が泊まるんだよ
・社長がやった事は当然悪い事ですが、記者会を見てバカがつくほど正直な人だなとは思いました。これが社長さんの責任の取り方だったんでしょうね
・その責任感が旅館運営に活かされなかったことが残念
・魚市場で働いてた時この社長自ら毎日仕入れに来てて魚買ってくれてたから何か悲しい。やった事は悪い事だけど。陽気な社長だった
・大丸別荘って福岡県ではお見合いや婚礼とかお祝い行事に使われていましたが、こんな結末では、いわくつきになり誰も寄り付かないわ
・一度失った信用の回復は難しい
・このような責任の取り方は間違いです
・あとは頼むって言われても‥
・残された従業員が、かわいそうだよ
・結局、自分で責任取らずに他人任せ
・この様な亡くなり方で残念ですが、勿体ないという気持ちもあります。この方、記者会見で自分の非を潔く認めていましたから逆にビックリしました。どこかの国の政治家みたいに嘘ついたり覚えていない等、言っていなかったから。きちんと自分が指示した、と認めてました。その責任を取った結果、と言う事でしょうか。この世の中、やっぱり無責任な図々しい人間が長生きするようになっているんでしょうね
・残された家族や従業員が後処理させられると思うと気の毒でしょうがないよ
・とても正直な方と思った。70才にビックリ。50-60才くらいかとばかり思っていた
・武士じゃないんだから死んで詫びるより 他に責任のとり方 そして立て直していって信用を取り戻すなど頑張れなかったのかな
・腹切ったんだから責めんな。ところで今後は正規の品質管理をするんだけれども、それは残された従業員できちんと出来るだろう。運営だって改善されるだろう
・自殺で贖罪しても意味ないと思います。 だったら最初からこんな不正行為をしなければよかったと思います
・それだけ責任を感じるなら最初から不正なんてやらなければよかった。捜査が入る中死んで詫びるのは逃げたとしか思えない
・よくないことしたけど、命絶つまで追い込んで、いいことなんて何も無い
・県庁が刑事告発までしたのは果たしてどうだったのかな…こういう結果になってみると。
客が来なくなって社会的経済的に制裁されるのは既に明々白々だっただけに。地元行政からも敵視されて追及されたら、頼るところが無くなってしまったんじゃないだろうか。田舎の旅館の社長とか、良くも悪くもワンマンで孤独な立場の人が多いだろうし。自殺は絶対してはいけないということは間違い無い正論なんだが、そういう可能性がある人を周囲がケア・カウンセリングしていくことも重要だと思う
・どんなに批判されても失った信用を取り戻す事が社長の責務であり、すぐさま辞任し捜査も終わらないうちに自殺とは全く責任を果たす事にならずただ逃げただけになってしまう
・自身のプライドが許さなかったのかもね。プライドの高い人にありがちな謝罪やら辞職やらでポッキリ折られて(自業自得なのだが)自信を無くしたのかな
・生きてりゃいいことあるのにね。みんなが一生後ろ指指す訳じゃない。過去は消えないが大事なのは未来だからね
・精神的に相当苦痛だったのだろうが生きる道はまだまだあった様に思います。人は死せばそこで全てが終わってしまう。きっとこれは共感が得られない考え方でしょうけど、昨今の「コンプライアンス絶対至上主義」みたいな考え方は少し改めるべきかと思います。何よりどの方々も息苦しくゆとりがなくなりますので
・調べたところ、亡くなった山田眞さんは経営者と料理長も兼任されておられたそうです。
お料理の写真を拝見すると小鉢に色とりどりの和の献立が盛り付けてあり、お金の計算だけでなく直接お客様をおもてなししてたのが伺えます。だからこそ今回の事件は残念でなりません。客用施設の不祥事は過去からいろんな企業で発覚しており、世間の評価は厳しいものですが経営の人は間違えたらまたやり直す根性でもって頑張ってほしいです
・死を選ぶことなんてない。どんなに困難な局面にあっても、とにかく生き延びことを目標にしてほしい
・記者会見は必要だったのかな? 何かあった時に小さな会社ほど記者会見やって世間に晒されて、大企業ほどマスコミ使ってうまく逃げる気がする
・自分ルールが押し通せてしまった悲劇かな。悪意が強い人より、自分ルールが強い人の方が脆い印象がある
・辛いところだと思いますが、新社長をはじめ残った従業員の方々には旅館を再びt立て直してほしい。それが前社長に対する供養になると思う
・前とはいえ社長ともありながら、自分勝手にも程がある。
・悪いことをする。ネット上で気軽に叩く。精神的に追い詰められて自殺。責任の取り方が間違っていると自己弁護。間違ったことをした方も追い詰めた方も誰も責任を取らない。すごい世の中になったもんですね
・これ報道に悪意なかったかい? 湯船からレジオネラが3700倍でたわけではないらしい。
どうやら。湯船は源泉かけ流しで1日10トンの温泉が入る。すなわち、お湯自体はどんどん入れ替わる。出た場所は、循環させてる打たせ湯の湯だまり。だそうな。もちろん掃除をしてないのは悪いが。報道の仕方も悪い。社長を追い詰めてやろうと。そんな感じがするね
・これは責任取ったのでは無く逃げたと言う捉え方されるので悪手です。結果経営として逃げと誤魔化しで運営してたとしか思われないし、最後まで逃げて残された人に責任なすりつけたとしか思えない
・自らがやってきたことに自身でけじめをつけたのであれば、他人がとやかく言う必要はないかと思います
・一年に2回しかお湯の入れ替えをしない(させない)様な、メンタル超強めの人が自殺するとは思えん
・若ければ再生に尽力もできるんだろうけど年齢からしてそこまでの活力はなかったんでしょう。残念な形となってしまいました
・典型的な士族経営。江戸明治で思考が止まっている。切るのは自分の腹ではなくチョンマゲだよ。文明開花させないと。失った信頼を取り戻すには、ひとつひとつまた積み重ねていくしかない
・不祥事が発覚してから、おそらく会社内で味方してくれる人居なかったんだろうな
・この方は終始ご自身の責任と仰っていることが気になっておりました。一度も他の従業員のせいにはしていなかった。あの会見に臨む前から、もしかしたらこの決意を…と憶測でしかありませんが、こういった最期はとても悲しい
・絶対に自死してはならなかった。厳しい意見が多かったのでしょう。死を選びたいほど。でもね、残された人はどうなるのです? 今から経営を立て直し、生活を支えていかなければならない従業員の方がいるのでしょう? 貴方は生きてそれを支えるべきだった。残念でなりません
・生きてきちんと大丸別荘を立て直して欲しかったです。大丸別荘はそれが出来る歴史と力があると信じていました
・自分の命を大切にして欲しかった。自分の命を大切にすれば、他人の命も大切に思えるのです
・自分の責任は自分の責任と素直に認め、決して部下になすりつけなかった点は立派だと思います
・ここからまだまだやり直せたと思うと、迎えた結末を残念に思う
・責任を感じて自死を選択した人に、無責任だの、それじゃない、逃げた、などのコメントは読んでいて本当に悲しくなる
・昨年の夏に大丸別荘に宿泊しました。とても気持ちの良い素晴らしいお宿でした。病気で食べられない食事にも気遣いいただき、感謝しかありません。今でも、また行きたい旅館です。今回の事を乗り越え、再出発して欲しいと思っていました。残念です。大丸別荘へ、私は、また行きたいです
・立て直せと言うコメントがありますが、そんな簡単な事ではないと思う。生き地獄どころか、この世に生き場がない状態だったと思う
・この騒動と対応でメンタル面でかなり追い込まれたのではないか?
・あの会見の潔さ、正直さは個人的には好感を持っていた。あの会見を悪意のある切り取りをして流したメディア、鵜呑みにして責めていたタレントや個々人、そして今なお自殺は無責任だと叩いてる人たちは、その言動で殺人をしているという事実を重く受け止めてほしい。「反省の色が見えない」「ふざけている」なぞという薄っぺらい曖昧な理由で人の失敗を無闇に攻めるものではない
・コロナの被害者との見方もできます。確かに内容的に違反であり、人の健康や死亡する可能性はあったことなので擁護はしにくいです。しかし、コロナ禍でお客が遠のき、従業員も養わないといけない。苦肉の策だったのでしょう。従業員も分かってはいたけど、告発はできなかったはず
・そろそろマスコミの役目を問いたい。まんまと失言を引き出すことだけに注力してはいないか。百歩譲って失言を引き出すのはいいとしても、それを踏まえて反省を促し、再発防止の言葉まで引き出すのが仕事じゃないの
・ ・ ・
当然といえば当然ですが、元社長を非難する声が多かったですね。
生きるも地獄、死ぬも地獄……ならば、生き抜いて地獄を喰らい尽くすくらいの気概が必要なんでしょうね。
それだけ命は大切していかないといけませんね。
とはいえ、どうにもならなくなるところまで精神的に追い込まれ、衝動的に自害することはありえます。
ご冥福をお祈りいたします。
「週刊文春」がトンデモ見出しから、自粛モードにシラッと変更
今回の元社長の自殺を受け、「週刊文春」がトンデモ見出しの記事を自粛モード記事にシラッと変更していました。
変更する気持ちがあるのは評価しますが、黙って変更したのでしょうか? 私がアナウンスに気づかなかっただけでしょうか?
他人のことを批判する人に限って自己批判しない傾向が強いですが、「週刊文春」もやはり……でしょうか。
簡単ですが、「週刊文春」の記事変更の流れはこちらです。
<「週刊文春」の記事変更の流れ>
(1)「週刊文春」が糾弾記事の掲載
記事タイトル:「週刊誌は怖いから面会は勘弁して!」湯の交換年2回で客が体調不良 福岡・老舗旅館社長のトンデモ言い訳
記事URL:https://bunshun.jp/articles/-/61265
魚拓URL:http://web.archive.org/web/20230311104422/https://bunshun.jp/articles/-/61265?page=2
こちらが記事です。3月9日号となっているので、3月9日もしくは10日あたりに公開されていたと思われます。
最後の締めの言葉「入れ替えが必要なのは、社長の性根のようだ。」がエグいです。
(2)自殺報道を受け、記事が消滅
自殺報道後、シラッと記事を消してしまいました。
「https://bunshun.jp/articles/-/61265」にアクセスしても、表示されるのは下記の案内文です。
(3)見出しと締めの言葉を変更して新しい記事にサシカエ
そして、現在の記事はこちらです。
記事タイトル:〈湯の交換年2回問題の前社長が死亡〉「指示は全て私がしていました」福岡・老舗旅館前社長が生前、記者に語っていたこと
記事URL:https://bunshun.jp/articles/-/61295?page=3
魚拓URL:https://archive.md/sI3lA
最後の締めの言葉「入れ替えが必要なのは、社長の性根のようだ。」が「この取材から3日後、社長を辞任したのだった。」に変えられています。
・ ・ ・
このサシカエについてはいろいろな受け取り方があると思います。それはそれぞれの受け手の感性に委ねることにします。
しかし、シラッと変更するのはいかがなものでしょうか。
せめて記事のラストに「山田真氏の自殺報道を受け、記事に修正を加えて再掲しました」的な言葉を添えても良かったのではないでしょうか。
日本に蔓延する「不機嫌社会」が過剰な断罪へ向かわせている?
最近注目を集めている精神科医の和田秀樹さんが新書『機嫌がいい人ほど人生はうまくいく』(←クリックすると、アマゾンのページに飛びます)を上梓しました。
和田さんは著作の中で「不機嫌という病」に冒されている日本社会に警笛を鳴らし、自殺に追い込まれた温泉旅館の社長についても言及しています。
不機嫌な人たちの特徴として、二分割思考の強さが挙げられます。さらに、「かくあるべし」という思い込みが強いということ。
「こちらが正義で、あちらは悪」という思考なので、「グレー」な存在を認めることができません。彼らにとって、叩いても大丈夫な人たちとは、「かくあるべし」の枠から外れていることが明白な人。その結果の重大性は問いません。
つまり、犯した罪の重さとは関係なく、二分割思考に照らして「クロ」だとはっきりしているかどうかが重要。だから、天然温泉の風呂を年に2回しか交換せず基準値を超えるレジオネラ属菌が検出されたというだけで、そこで死者が出たわけでもないのにメディア報道は過熱、それに乗っかる形でネット上でも大バッシングが繰り広げられ、温泉旅館の経営者が自殺に追い込まれました。
引用:なぜ老舗旅館の社長を自殺に追い込むほど断罪するのか…和田秀樹さんが憂う「不機嫌」な日本社会(弁護士ドットコムニュース/2023年04月17日 10時24分)
https://www.bengo4.com/c_18/n_15890/
魚拓URL:https://archive.md/KJkQC
和田さんは少しでも心地よく生きていくコツについて語られています。そのコツとは「ソーシャルキャピタル(人と人とのつながり資本)」を大事にすることだそうです。
そもそも他人をジャッジしたり、断罪することで自分の脳は汚染されていきます。他人のふるまいなどは完全無視して、気にせずにスルーするのがイチバンでしょうね。
では、この記事に対するネットの声はどのようなものが多かったでしょうか。
◯「機嫌よく生きること」を提案する記事に対する声
SNSの後押しもあり、バッシングが激しい状況になっている現在の状況に危機感を抱いている人多いと思います。実際にこの記事に対してはどのような声があったのか、目についたものをピックアップしました。
<「機嫌よく生きること」を提案する記事に対する声>
・気になっていたことが記事になった。私も昨今の報道のあり方が気になる。自分のことはさておき、他人に対して徹底的に痛めつける。対象の人は悪いこともしたが、他の部分では報道した人達より正直に正しく生きて来たかも知れない。このような記事の出し方、周到な攻撃をしておいて自殺が起きた後はプツンと報道が無くなった。このような記事や行動が国民に広がり、子どものイジメにも繋がっている。責任を取らないマスコミ関係者も問題だ
・ヤフコメが面白いのはイジメ要素はらんでいるからなんですね。確かにくだらないけど面白い
・バッシングの責任を取らないのはヤフコメ民やSNSも同じだと思う
・マスコミにヤフコメに置き換えても違和感ない
・マスコミちゃう(笑)、自分らや
・イジメの自覚がある文春は姑息に 文春オンライン の記事を書き換え(入れ替えが必要なのは、社長の性根のようだ→この取材から3日後、社長を辞任したのだった)
・正当な批判はあって然るべき
・反撃できない相手をとことん叩くのは見ていて気分が悪
・過剰にバッシングする人については記事の通りですが、その舞台を演出するようなマスコミの報道のあり方にもかなり責任があると思います。「この人こんなこと言ってますよ、皆さん叩きたくなりますよね」という声が聞こえてくるような意地悪な記事をよく目にします。そして社会的影響力の大きい案件よりも、意見したくなる・叩きたくなる案件を優先的に報道しています。もっと大事なニュースがあるでしょうに…と思うことが多いです。まるで「あの人こんな事言ってたよ」と告げ口してまわる人みたい。現在大手マスコミの倫理観はそのレベルです
・とどめを刺すのは、踊らされた一般人
・バッシングは簡単に自分が多数派になれるから、そこに参加することで、「同じ気持ちを誰かと共有できている」という欲求を手軽に満たせる、ということなのだろうか。バッシングでないにしろ、SNSって基本的にはそういう使われ方をしているような気がするし。いずれにしろ、現代人は寂しいんだろうな、と思う
・ズレーザーと学ぶって番組でバッシングになる心理をやってました。「シャーデンマッハー」で検索してみて下さい(注:シャーデンマッハ―とは、他人を不幸に貶める(おとしめる)行為を実際にしてしまう人を指します。 嫉妬や妬みからくる心の痛みから解放されたいから起きるとされています)
・テレビの報道姿勢、全ての不祥事を記者会見に持ち込み質問攻めにする、追いかけ担当の行き過ぎの行為が「不機嫌」社会を煽っていると思う。不機嫌が蔓延していることは実感。コメ欄もガス抜き
・他人を叩くとドーパミンが出る。これは脳内快楽物質の一つであるため純粋に心地よいのだ。しかし罪もない人を叩くのはいけないことだから落ち度のあった人を叩く。そうすれば正義の行いであるという大義名分ができ、なおかつ自分の欲求を満たす事ができる。怒りは貧乏人の娯楽というそうだ。日常生活で不満を感じている人が多く、ガス抜き行動である事、インターネットの発達により情報伝達速度が早くターゲットが次々に現れること、匿名性により叩く側の安全性が一定は保たれてれいること、可視化されているから叩く側の数も多く群衆心理も後押ししている事などが叩き社会の要因だろう
・「正義感に酔って自己愛を満たせるから」というより、私は単に「相手を見下して優越感を得られるから」ではないかと思う。漫画「パトレイバー」からの引用ですが、「強きをけなし弱きを笑う。勝者のアラさがしで庶民の嫉妬心をやわらげ、敗者の弱点をついて大衆にささやかな優越感を与える。これが日本人の快感原則にいちばん合うんだな」。結局はこれが着地点だと思うのです
・悪いことした相手へのマウンティング感めいたものは感じる。あと、イライラをぶつけてるんだろうなども思う。コメディ見て楽しい気分になったり、悲劇ドラマ見て悲しくて涙流すのと同じ
・正直、自殺の原因が誹謗中傷なのか、世間の反応全体なのかが分からないので、その前提が曖昧な気もしなくもないが。
・老舗旅館であったことと、記者会見での様子が悪くいうと他人事のようだったため、さらに注目を集めることになってしまった印象だが、それによって肝心の内容がクローズアップされなかったとすればそれは報道側の責任だろう。要約するのではなく、一部だけを切り取る報道はやめてもらいたい
・常にいじめたり攻撃したりする相手を探す人って、たまにいますよね。それぞれグループがいて穏やかなクラスだったのに他のグループの子の悪口を言い始めたり、職場で本人に注意すればいいのに陰でコソコソ言ったり…。
・今回のことは確かに記者会見を聞いてあ然とした。だから被害者や被害者の家族などが断罪するのは仕方ないと思うけど、記者を含め私達は攻撃する必要はないと思う。必要以上に問い詰める記者はヒーロー気分でも自分に酔っているだけだと思うし、電話やネットなどで攻撃する人は心が満たされていないから矛先を向けているだけ
・大筋は理解できるが、例えとして出してるものはちょっと違うような…。旅館の件はバッシングが原因なの?やっていたことを考えると、閉業に陥っても仕方ないし、閉業が頭にチラついた時に悲しい選択をする人もいるだろうし。SNSバッシング時代でなくとも起こりうる話のような気がする
・ヤフコメでも、どうでもいいような規則や(一部地域限定の慣習のようなものも含む)ルールを盾に正義を振りかざすコメが多い。コロナ禍は特に多かった。そんなに縛られて生きていきたいのかな? と疑問に思っていました。正解は自己愛を満たしたかった人(一種のナルシスト)が多かった、だったのですね
・記事の分析と提言に概ね賛同いたします。なんというか、昨今は自分の中で「絶対的な悪たる存在」を定義して、そのレッテルを貼った相手には何をしても構わないと決めつけ実際にそれを行うことで溜飲を下げるというかなり危うい行動が横行しているように感じます。何を嫌いかを語るのではなく、何が好きかを語り、肯定的な意識でものごとを見るようにしましょうよ。それだけでもずいぶん気持ちが軽くなる人も多いと思います
・メディア側が叩きやすい対象を選んで報道し、視聴率や閲覧数を稼げると判断したニュースを取り上げる。そこに常に叩ける対象を探している一定の炎上大好きな不機嫌なユーザーが批判的なコメントを出す。そういうコメントが集まって来て、日頃は比較的大人しい普通の人が野次馬化して炎上に参加する。炎上騒動を見ていると、そういうパターンが多い
・鬱憤晴らしのはけ口を求めて、叩きやすい所に集団で群がるのは、ネット社会になってから顕著になった
・興味深い内容だ。社会学者の中根千枝(東大名誉教授)による名著『タテ社会の人間関係』を思い出した。 中根さんは「日本では能力差を認めようとしない性向がある。たとえ貧乏人でも、成功しない人でも、教育のない人でも、そうでない人と同等に扱われる権利があると信じている。」と書いている。格差社会が深刻になり、妬みや嫉妬が増幅され、叩きやすい弱い人間をバッシングする傾向が強い
・怒りの矛先の向けどころがなくて、やりきれないなんていう例は、世間にはザラにあるだろう? それを大人ならば我慢すべきところを、何かしら特定のターゲットを見つけて攻撃するなんて、子供のいじめと変わらない
・元々の日本人がこんな人種だったのか、次第にこのように変わっていったのか? いずれにしても、叩ける奴は徹底して責めていじめる。という国になってしまいましたね
・和田氏が云う社会の中から生まれたのが、「維新の会」ではないか? ルサンチマンを利用したのが維新であり、関西一円に維新の毒が蔓延しているのは、社会が間違った方向に導かれていて、憂うばかりだ
・この旅館の経営者に対するバッシングもそうだけど、いつも不思議に思うのは有名人の不倫やスキャンダルについてなぜみんな本気で腹を立てて激しく非難するのか、ということ。よく考えてみれば、有名人が不倫しようが旅館のお湯が交換されて無かろうが、別に自分には何の関係もないし、何の不利益もないし、自分が腹を立てて非難することでもないのに
・イジメの加害者や外食店テロなどの名前を晒すのは社会の安全のため、とか正義を振りかざしてる人が多くここでも山ほどいるが、実際は安心して叩ける相手を探しているだけ
・不機嫌を煽るメディアと、自らの不機嫌を増幅するネタを欲する受け手との間で、悪意のコールアンドレスポンスが出来あがっちゃってるから。
最近1番痛ましかったのが、村田兆治さんの件だ。よくあの事例であそこまで叩く世論が出来上がったな、と不思議でしょうがない。結果村田さんは自死を選んだわけだが。一つだけ許せなかったのが、有楽町界隈で電波を発する某ラジオ局朝の番組だ。村田さん死亡を報ずる中で、コメンテーターである女性編集者とのやり取りの中で、「何か、心に病を抱えていたのかもしれません」というコメントでニュースを締め括ったフリーアナウンサー! 行き過ぎたメディア報道と、それに乗せられた世論には一切触れず、事件を村田さん個人の問題だと言い切ってしまった。仮にも野球大好き人間を標榜してる身で、あれが言えてしまう。和田先生には悪いが、病はもはや取り返しのつかないところまで進んでる
・日本の道徳教育というものの根幹が、誰も見ていなくてもお天道様は見ている、常に清く正しくあるべき、悪い行いには天罰が下る、という価値観に根差しているからね。
だからこそ勧善懲悪が好まれる
・弱い人を叩くのは、同じく弱い立場側の人ではないか。社会的に満たされていない人、日常に不満を持っている人、経済的に貧しい人。そういう人が唯一強さを感じられるのが匿名のネットであれこれ物申すこと。そういう弱い人が社会に増えたのでは?
・1970年代の金権政治叩きから80年代のロス疑惑、90年代のサリンテロ、2000年代の雪印と、騒ぐだけ騒ぎ煽るのがマスコミの報道でした。画面越しにののしり上げ足を取り追い込む姿勢ばかり見ていた視聴者がいまはみのもんたとなり古舘伊知郎になったのですが二人が二百万人に増えました。無責任なマスコミの真似をするかどうかは個々人の資質しだい
・メディアもIT業者も「誹謗中傷に広告をつけて拡散する」ビジネスモデルにドップリ浸かってしまったからね
・自分は格差が原因だと思ってる。今ほどじゃないにせよ格差は昔からあったんだけど、それが鮮明に可視化されたことによって、アイツはあんな良い思いしてるのに同じように生きてるオレは何でこんな辛い思いしなきゃならないんだ、っていう不満が先鋭化してる
・和田氏の視点がズレてはいないだろうか? 温泉旅館経営者自殺も、温泉の入れ替えの問題が大きい訳では無く、会見時の受け答えの対応のまずさが非難された
・国民年金より生活保護のほうが高いから生活保護の支給を低くしろになるんだよね。なぜ年金高くしろにならないか不思議な国ではあるな
・ベッキーの不倫あたりからやばい感じしてた。手癖の悪いバンドマンとタレントが不倫、あっそ、って感じじゃない? 妻やその親族でもないのにそんなに腹立つかなあ、って思ってた
・(国会議員や公務員の宿舎の家賃が相場より安いことに対する過剰なバッシング)これはいくら批判しても過剰ではない。不充分なくらいだ
・自分が被害を被ったわけでもない、何の関係も無い事案に対して、何故そんなに怒りを感じるのか、それが全く理解できない
・他者に対する不寛容さは日本の幸福度を下げている要素の一つだと思う
・他人の承認を前提に生きてる人生がとにかくむなしいのよな
・叩いて喜んでいたのはマスコミだと思いますがね
・自分が貧しいのは社会のせいだという人が多くなっているのかもしれません
・ほんとに、もう人叩くのやめようよ
・ネットでのバッシングで、自殺することもない。そいつらは匿名だから罵倒できるだけで、裁判で実名を出して会社などに知られると、途端にビクビクしだして「許してください…」とか細い声を出して、泣き出す輩でしかない
・日本人は多分他人の評価を気にしすぎるのではないか
・テレビドラマの時代劇の勧善懲悪の主人公に成り切って自己満足しているのだろうな。薄っぺらな正義を振り翳す貧しい心の人々はいつの時代にもいる。潜在的な暴力欲求の捌け口にしている。ローマ総督の前でキリストを十字架にかけよと叫んだ大衆。魔女を火炙りにさせた中世の人々。ネットの誹謗中傷もマスコミの集中攻撃も同じだ
・バッシングされると言う事は、それなりの理由があると言う事。それなりの理由を作ったのは本人である
・ ・ ・
日本社会は決していい方向には進んでいないように感じます。未来に不安を感じている人も少なくないでしょう。だから自分よりも他人を叩き、貶め、つかのまの安息感を得たいのかもしれません。
◯ネガティブなバッシング社会から離脱せよ!
先程も書きましたが、脳はネガティブな声を自分宛ての言葉だと解釈してしまいます。こういったバッシングを続けることで、1億総自傷社会になってしまうのではないでしょうか。気がついたときには心身共にズタボロになっている可能性もあります。
こういったネガティブなバッシング社会からから離脱しないと、取り返しのつかないことになりそうです。
では!
気になった謝罪文を収集しています。謝るようなことが起こらないにこしたことはありませんが、何かの時のために参考にしてください。
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