つなワタリ@捨て身の「プロ無謀家」(@27watari)です。おせちの歴史や意味、由来について紹介します。
【目次】本記事の内容
おせち料理の原点は、神様に対する神聖な風習だった
定住生活がスタートした弥生時代は、無事に農作物が収穫できることを神様に祈りました。もちろん無事に育って収穫できたときには、神様に感謝を捧げました。
その際には神様に対してお供え物が行われました。この神聖な風習がおせち料理の原点だとされています。
お供え物の内容は、「新米・あわ・きび・木の実・海産物」などでした。
弥生時代とは
紀元前10世紀頃〜紀元後3世紀中頃の時期にあたります。稲作・定住が生活の中心となっていた時代です。
By Yuya Sekiguchi (連綿と続く米への情熱 Perpetual Passion for Rice) [CC BY 2.0 ], via Wikimedia Commons
お供え物は「税」の起源ともされている
おせちの原点とされている弥生時代のお供え物ですが、『魏志倭人伝』によると収穫物を「初穂料」として神に捧げる行為から、「税」の起源ともいわれています。
「節」の思想が伝わり、「おせち」と呼ばれるようになった
奈良時代に中国から季節の節目を祝う「節」という思想・文化が伝わりました。それをきっかけに、宮中では元旦が季節の祝いとして、「節会(せちえ)」という宴が行われるようになりました。
平安時代になると「元日(1月1日)」「白馬(1月7日)」「踏歌(1月16日)」「端午(5月5日)」「豊明(11月の新嘗祭の最終日)」を五節会と呼び、重要視されるようになりました。
そこで振る舞われる料理は「御節供(おせちく)」と呼ばれ、この言葉が庶民の間に広まっていくにつれて「おせち」に転じていきました。
「おせち」という呼び方が大衆の間に定着したのは、江戸時代の頃だといわれています。そして本来は五節会すべてを祝う料理「御節供(おせちく)」が、正月だけに出されるような「おせち」になっていきました。
当時は、硯蓋(すずりぶた)というお盆のような器に祝いの料理が盛られるのが一般的でした。現在の重箱が使われるようになったのは明治時代になってからです。
出典:「歌舞伎座」江戸文化紀行〜硯蓋 より
http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no259.html
おせちの販売は昭和42年、日本橋三越本店から
ネット販売も盛んになったおせち。ネット時代以前に購入しようとした場合は、デパートやスーパーで予約するのが一般的でした。
デパートのおせちのはじまりは、昭和42年に日本橋三越本店が予約販売をしたのが最初だとされています。
販売個数は40個。その後、ホテルや料亭なども競っておせちを販売するようになっていきました。
ちなみに「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったものです。
出典:「日本橋と三越本店(1935年)」
https://www.pinterest.jp/pin/489485053233531120/
以上、おせちの歴史や意味、由来について紹介しました。
では!
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