つなワタリ@捨て身の「プロ無謀家」(@27watari)です。オハヨー乳業の「昔なつかしアイスクリン」が市場に出始めると初夏が近づいてきたっていう印象です。ところでアイスクリンってアイスクリームじゃないんでしょうか? アイス好きなら把握して購入しているでしょうが、アイスは「アイスクリーム」「アイスミルク」「ラクトアイス」の3種類があります。今回はそんなアイスの話を簡単にまとめておきます。
アイスクリンとアイスクリームと違いがわからない人……アイスの種類は厚生労働省の基準によって決められています。今回はアイスの種類の違いについてご紹介します。
【目次】本記事の内容
素朴なイラストが素敵な「昔なつかしアイスクリン」
オハヨー乳業の「昔なつかしアイスクリン」のイラストが素敵です。
とっても素朴です。
これです。
「昔なつかしアイスクリン」
https://www.ohayo-milk.co.jp/ice/15070.html
イラストの作者はどんな方なんでしょうか。気になります。ランニングシャツに麦わら帽子なんてベタな格好は絶滅状態ですが、じつに『日本の夏』って雰囲気です。
使われいるフォントも素朴です。
好きな人も多いでしょうね。私は「アイスクリーム派」ですので、あまり買いませんが、キライじゃないです。
ん?
アイスクリーム派?
ここに引っかかったアナタは、脳のセンサーが研ぎ澄まされている証拠です。
じつは「昔なつかしアイスクリン」っていうのは、アイスクリームではありません。種類でいうと、「ラクトアイス」なんです。
この辺の違いは後述します。
もうちょっとだけ「アイスクリン」を掘り下げていきます。
昔は「アイスクリン」がアイスクリームだった!?
初めて日本人がアイスクリームを食べたのは幕末の1860年(万延元年)、咸臨丸で渡米した遣米使節団であるとされています。
この時の記録『柳川日記』に「珍しき物あり。氷をいろいろに染め、ものの形を作り、是を出す。味は至って甘く、口中に入るるに忽ち溶けて、まことに美味なり。之をアイスクリンといふ」と記されています。
「渡米使節団とアイスクリーム」(日本アイスクリーム協会)
https://www.icecream.or.jp/biz/history/japan01.html
その後、1869年6月に日本初のアイスクリームが販売されます。この時の名称も「あいすくりん」でした。
つまり!
昔の日本人にとっては、「アイスクリン」がアイスクリームだったわけです。
なぜ5月9日が「アイスクリームの日」なのか?
5月9日は「アイスクリームの日」です。
一部では日本で初めてアイスクリームを製造・販売した日を記念して制定されたといわれていますが、それは誤りです(実際は1869年6月)。
この記念日が制定されたのは1964年で、東京アイスクリーム協会(当時)が「アイスクリームデー」と決めて普及イベントを行ったことに由来しています。
「アイスクリームの祭典」開催(日本アイスクリーム協会)
https://www.icecream.or.jp/activity/icecreamday.html
アイスクリームの普及とアイスクリームの種別化
アイスクリームは大正時代になると大量生産されるようになり、気軽に食べられるようになりました。
しかし、世界大戦で一旦は生産中止の憂き目にあいます。
復活は戦後です。すぐにアイスキャンデーが発売され、すこし時間をおいてアイスクリームが復活します。
雪印乳業がアイススティックの販売をスタートさせたのが昭和27年のこと。ミルクとバニラのなめらかな食感が人気を集め、アイスクリーム全盛へと時代が移り変わっていきます。
なぜ昭和27年だったのか? という疑問もありますが、これはもしかすると法整備との関連性があるかもしれません。
というのは、昭和26年12月27日に「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令(乳等省令)」が定められたからです。
この規定により、牛乳やその他の乳、乳製品などについての成分規格や製造基準、容器包装の規格、表示方法などが明確に定められました。
もちろんアイスクリームに関しても、分類の規定が明示されます。見て気づかれると「思いますが、「アイスクリーム類」と括られています(下記参照)。
<アイスクリーム類の種別(乳等省令による)>
・アイスクリーム……乳固形分15%以上(うち、乳脂肪分8%以上)
・アイスミルク……乳固形分10%以上(うち、乳脂肪分3%以上)
・ラクトアイス……乳固形分3%以上
アイスクリーム以前の牛乳の歴史について
ここで少し話を脱線させます。
かなりザックリですが、アイスクリームの原料となる牛乳の歴史について紹介します。じつはアイスクリームの普及と牛乳飲用の習慣は、ほぼ同じタイミングだったんです。それをなんとなく感覚的に把握してもらえれば幸いです。
<日本で牛乳が普及するまでの歴史>
645年
百済からきた帰化人は天皇に牛乳を献上
701年
「大宝律令」によって、官制の乳戸(酪農家)が集められ、皇族用の搾乳を始めた
718年
牛乳を煮詰めてつくる「酥(蘇/そ)」の天皇への献上が命じられる
927年
平安時代の宮中における年中行事や制度などを集大成した事務規定集『延喜式(えんぎしき)』で「貢酥(蘇)の儀」が定められる。『延喜式』には醤油(醤/ひしお)や味噌(未醤/みしょう)なども初めて記録される
984年
日本最古の医術書『医心方』に乳製品の解説として「牛乳は全身の衰弱を補い、通じを良くし、皮膚を滑らかに美しくする」と記される
この後、平安時代後期から鎌倉時代にかけて武士が台頭し、朝廷の勢力が弱まるにつれ、日本の酪農は廃れていった。
1596年
海外の宣教師が幼児たちのために牛乳を飲ませる「乳児院」を長崎に建てる
1727年
徳川吉宗がインドから白牛3頭(セブ―種)を輸入。嶺岡牧(みねおかまき/現千葉県南房総市・鴨川市)で飼育を始め、白牛の乳から「白牛酪(はくぎゅうらく)」という乳製品を作った。これが近代酪農の始まり。
ちなみに日本酪農発祥の地には「千葉県酪農のさと」が建設されている。
「千葉県酪農のさと」
https://www.pref.chiba.lg.jp/chikusan/rakunounosato/index.html
「乳っこ固めたもの」と呼ばれていたものを、発音どおりでカタカナ表記にし「チッコカタメターノ」という牛乳豆腐が有名。
「チッコカタメターノ」
https://www.pref.chiba.lg.jp/chikusan/rakunounosato/documents/tikkokatametano.pdf
TVチャンピオンで殿堂入りした菓匠・白妙の「白牛酪餅(はくぎゅうらくもち)」は絶品との評判
菓匠・白妙「白牛酪餅(8個入り)」1,728円(税込)
http://www.shop-shirotae.com/shopdetail/000000000097/
1863年
前田留吉がオランダ人から牛の飼育、搾乳を習い、横浜に牧場を開き、牛乳の販売を始める
1869年
横浜で町田房造が、日本人で初めてアイスクリームを製造販売
1871年
「明治天皇が毎日2回ずつ牛乳を飲む」という日常が新聞・雑誌で紹介されたことで、国民の間にも牛乳飲用が広まっていく
1951年12月27日
「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令(乳等省令)」を公布。牛乳をはじめ、一気に乳製品が全国に普及していく
歴史を振り返ると、国の法整備や権力者の意識によった大衆の食文化も大きく左右されることがわかります。
さて、話がかなり脱線してしまいました。
本題のアイスクリームの種別についてもう一度確認します。
日本でのアイスクリーム類と氷菓の分類
厚生労働省が決めている「アイスクリーム類」は3種類あります。さらに「氷菓 (ひょうか)」と呼ばれる冷たいお菓子があります。氷菓は、乳固形分がラクトアイスより低いか入っていないものとなります。
乳固形分 | 乳脂肪分 | |
アイスクリーム | 15.0%以上 | 8.0%以上 |
アイスミルク | 10.0%以上 | 3.0%以上 |
ラクトアイス | 3.0%以上 | – |
氷菓 | – | – |
アイスクリームの賞味期限って?
ちなみにアイスクリームや氷菓は冷凍保存されているため、賞味期限の表示を省略できます。つまり、賞味期限は基本的に存在していません。
もちろん温度が高い場所で保管すると劣化して食べられなくなってしまいます。ボーダーの温度は「−18℃以下」が基準となっています。
<おまけ>全国のアイスクリンで「ひんやりパーティー」を!
高知県や沖縄県、倉敷市など、全国にはアイスクリンが販売されている地域がたくさんあります。
そんなアイスクリンは通販でも楽しめることができます。
アマゾンでは多種多様のアイスクリンが販売されています。
↑画像をクリックすると、アマゾンのページに飛びます。
せっかくですから、全国のアイスクリンを注文して、家族や仲間と「ひんやりパーティー」なんてものを企画するのも楽しそうですね!
BBQのデザートに調達しておくのも楽しそうです!
では!
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