つなワタリ@捨て身の「プロ無謀家」(@27watari)です。
「百人練磨」という形での個人的な備忘録メモです。あくまでも雑記メモです。もし何かのお役に立てれば幸いですが、あまりお役に立てないでしょう。
【目次】本記事の内容
寺山修司の基本情報
名前:寺山 修司(てらやま しゅうじ)(←クリックするとアマゾンのページに飛びます。以下同)
生年: 1935年(昭和10年)12月10日(青森県三沢市)
没年: 1983年(昭和58年)5月4日(東京都杉並区/河北総合病院)
※中学の同級生でもある日本の歴史学者・岩橋小弥太(いわはし こやた)によると、本来の読み方は「のぶを」で、國學院在籍時から「しのぶ」と名乗るようになったらしい。
基本プロフィール:
青森県出身。 詩人、歌人、劇作家、映画監督。 早稲田大学に進学後、短歌の創作で頭角を現し、「職業=寺山修司」としてさまざまな分野で活躍し、膨大な量の文芸作品を残した。1967年1月1日に前衛的な演劇集団「天井桟敷」を結成、1969年3月15日に渋谷並木橋に劇場「天井桟敷館」を開館させる。 砂糖入りのカレーとコーラが大好きだった。
詳細プロフィール:寺山 修司 Wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E4%BF%AE%E5%8F%B8)
寺山 修司のモチーフは「不自由」……が宮台真司が分析する寺山の足枷
河出書房新社編集部による「総特集 寺山修司 増補新版 (文藝別冊) 」という一冊があります。寺山修司を多角的に分析している一冊です。この中で社会学者の宮台真司が寺山について語っています。非常に的を射た内容ですので、その要点をピックアップします。詳しく知りたい方は上記リンクから購入してください。
宮台真司が語っているのは、『寺山のモチーフ』と『創造の本質』についてです。それぞれについて説明します。
まずは『寺山のモチーフ』。それは、「不自由」だと考えています。さらに「不自由」を3つに分類して深堀りしています。3つの不自由とは、「時間軸での不自由」「空間軸での不自由(片端的オブジェ)」「個体であることの不自由」です。それぞれを説明すると、たしかにうなずける部分が多いといえます。
◯寺山の「時間軸での不自由」
宮台は中学生時代に寺山と出会います。当時、寺山の『消しゴム』(1977年)という実験的短編映画が強く記憶に残っているそうです。
この作品です。10分程度の短編で、得体の知れない映像が流れ続きます。何かが迫ってくるような奇妙なサウンド効果と相まって、見ている側は徐々に行き場を失い、根源的な選択肢を突きつけられるような作品です。
映像文化史を専攻する川本徹は、『消しゴム』を「海のように忘れる(ことのない)フィルム」と評価しており、「消しゴムとシミ」による能動的&受動的な消去(忘却)や「海の波」などの特色について言及しています。(参考:海のように忘れる(ことのない)フィルム―寺山修司「消しゴム」の主題論的分析 http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN12/kawamoto-article-2008.html 魚拓PDFはこちら)
具体的な内容は、孤独な老女が夫(または恋人)である若い海軍士官の思い出に浸ろうとする中で、シミと消しゴムによって生まれ、消される「変化する記憶」を扱っています。寺山自身の言葉によると「これは・シミのある映画・の試みであり、消しゴムで消すことのできる映像の試みでもある。(中略)この映画は、記憶の修整の映画でもあるわけで、時間の経過を通して一人の老女のさまざまな過去がよみがえってくる。瞼の裏を通りすぎてゆく過去。そのまばたきの一瞬映画。あるいは打ちよせて返してくる波のような時間の皺。そういったものを記録してみたい、というのが、この映画の意図なのであった」と語っています。(参考:『寺山修司実験映像ワールド』について https://www.lib.gifu-u.ac.jp/downloads/bulletin_No29kz.pdf 魚拓PDFはこちら)
話を宮台真司の分析に戻します。宮台は「記憶が人を不自由にしているからこそ消す必要がある。しかし、さりとて記憶を消してしまうと自分が何者かわからなくなってしまうという新たな不自由さが発生してしまう。だからこそ不自由な記憶を捏造することで自分を自由に解放させるというのが寺山の理屈である」と喝破しています。
記憶の捏造は「思い出補正」ともいえる行為でしょう。多くの人間は、大なり小なり似たような捏造行為で生きていきます。少し脱線しますが、これが病的に進行すると「解離性健忘(記憶障害・記憶喪失)」となります。さらに犯罪的傾向が強くなっていくと「詐欺師(詐欺師症候群)」になってしまいます。人間はそんなギリギリの揺らぎの中で記憶と対峙しており、寺山はその揺らぎの中に身を投じたといえます。
◯寺山の「空間軸での不自由」
続いて寺山の「空間軸での不自由」に関してです。宮台は「片輪的オブジェ」と呼んでいます。ここでの不自由というのは日常と非日常のギャップのことです。具体的には松葉杖や公共の場に置かれた仏壇など、日常空間に亀裂を入れるスイッチ的なツールが不可欠だと語っています。たしかに寺山が好んで使ってきたフリークス的、サーカス的、葬儀屋的、古時計的な要素は、すべて日常にある非日常的なモノです。
すべての物語には何かひとつの「嘘」が必要だといわれていますが、寺山の場合は日常の中の非日常というツールが「嘘」だったといえるでしょう。
◯寺山の「個体であることの不自由」
具体的には社会生活を送る上での規範的なものを指します。学校でいうところの制服、社会で生きるためのルールなど、私たちのまわりには有無を言わさずに守らなくてはいけない不自由さがあります。
その不自由さに対して集団で対抗するところに寺山作品のカタルシスがあります。とくに制服はアイコンとしてわかりやすいので、園子温監督「自殺サークル」のショッキングシーンや「新しい学校のリーダーズ」などの活躍もこの流れといえるでしょうか。
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そして肝心なのが、寺山の『創造の本質』です。
宮台は「寺山はオリジナルやコピーといった日常的な二項図式の内側で勝負する人ではない」と言い切っています。剽窃や捏造によってオリジナルを自由自在に寺山流に変容させ、昇華させる……いわば「表現芸者」にようなスタンスだったと指摘しています。
自意識が強く、オリジナルを追求していきたいからこそ、あえてオリジナルを剽窃し捏造する。この表裏一体の矛盾こそが寺山の基本手法だったといえます。
◯常に対極の自分を俯瞰して見て、問い続けていた寺山修司
寺山の名言に「私は私自身の記録である」「この世でいちばん遠い場所は 自分自身のこころである」などがあります。
寺山は常に対極の自分を俯瞰して見ており、あくまでも創造性の提示などは二の次で、主観と客観を同居させた存在を形にして世の中に「自問自答の経過」を問い続けることだけに専心していたのかもしれません。
代表作『書を捨てよ、町へ出よう』の映画版では、冒頭から観客へ自分の立ち位置を語りかけてきます。「そっち(客席)は禁煙なんだろ? こっち(映画の中)は自由だぜ。だけど映画の中には何にもないんだ。俺は誰なんだ!?」と。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm2997376
「これが映画だ! 俺の物語だ!」。
この作品で寺山が言い切った理由は、自分の創造性を評価してもらうのではなく、自分が何者かを判断することを他者に委ねたかったのかもしれないですね。
追記します。