つなワタリ@捨て身の「プロ無謀家」(@27watari)です。
今回はさつまいもの和菓子、いもようかんを紹介します。いもようかんの原点は駄菓子屋で。それを見事な和菓子にまで高めたのが1902年創業の東京・浅草「舟和」です。
さつまいものお菓子に興味がある人……さつまいものお菓子について調べています。今回は「いもようかん」です。
シンプル! 美味! 東京・浅草「舟和」のいもようかん
東京・浅草「舟和」のいもようかんは非常に有名です。まずは動画をいくつか紹介しましょう。
いかがでしょうか? 食べたくなってきましたよね。では、さっそくお取り寄せ情報を載せておきます。
代表的な「いもようかん&あんこ玉」の詰め合わせです。
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ほかにも芋あんをバター風味のパイ生地に包んで焼き上げた「おいもパイ」、紅あずまを使用し、ノンフライの自然の風味のおせんべい「黄金色の芋金貨」などが人気です。
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さて、話の順番が逆かもしれませんが、ここからが本題です。いもようかんの歴史などについてご紹介します。
いもようかんの発祥と「舟和」の歴史
ようかんは江戸時代後期に生まれました。寛政年間に日本橋式部小路(しきぶこうじ)の喜太郎が考案したもので、溶かした寒天に小豆餡と砂糖を入れ、よく煉って固めたものでした。当時は貴重な砂糖をふんだんに使って作られた高価なものだったので、一部の富裕層や茶人だけに好まれていました。
参考:
・式部小路(江戸マップ〜国立国会図書館が公開する古地図「江戸切絵図」)
http://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/02/1849/2-149.html.ja
・『北越雪譜』(←クリックすると、アマゾンのページに飛びます)
『北越雪譜』は魚沼塩沢宿に住む鈴木牧之氏が執筆した江戸時代のベストセラー。貴重の御菓子を調進する家(大久保主水)の菓子杜氏(菓子職人)であった喜太郎のエピソードが記されている。
・講談『出世証文(しゅっせじょうもん)』に登場する「江戸元祖練り羊羹」が有名。江戸の時代、出世払いを約束する「出世の証文」に悩まされつつ大成功を収める生真面目な商人、淡路屋喜三郎の出世話。
http://koudanfan.web.fc2.com/arasuji/03-18_syussejyoumon.htm
・『類聚近世風俗志』(喜田川守貞/守貞漫稿)(←クリックすると、アマゾンのページに飛びます)
練り羊羹について記されている。
・喜田川守貞と柏餅(とらや)
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/111/
・江戸時代の砂糖食文化 ~砂糖の流通と砂糖菓子~(農畜産業振興機構)
https://www.alic.go.jp/joho-s/joho07_000274.html
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ようかんは明治時代になっても貴重なものでした。そこで当時、書生と呼ばれていた学生たちは、ようかんを食べたくなると「書生のようかん(焼き芋)」を代用品として食べるようになりました。
その後、ドイツに留学してバウハウスを訪問し、帰国後1925年に雑誌『みずゑ』に紹介記事「国立バウハウス」を書き、『明治商売往来』(←クリックすると、アマゾンのページに飛びます)などでも有名な美術評論家・仲田定之助(なかだ さだのすけ)によると、東京の下町には駄菓子屋がいたるところにあり、そこでは「さつまいもを煉って、少し甘みを加えたようなお菓子があり、色は黄色と煉瓦色の2種類で三角に切って売られていた」という話です。また、おなじようなものは焼き芋屋さんでも売られていたようです。
参考:
・仲田定之助(東京文化財研究所)
https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9494.html
・明治時代の駄菓子で販売されていたもの(駄菓子と詰合せ★ かしかし.コム)
https://www.kasikasi.com/page067.html
・『いろは引 江戸と東京風俗野史』(伊藤晴雨)(←クリックすると、アマゾンのページに飛びます)
1930年(昭和5年)に城北書院から発行された。関東大震災で財産を失った著者が江戸の風俗を書き記そうと取り組んだ作品。
・「伊藤晴雨と駄菓子屋」(とらや)に描かれた芋羊羹
https://www.toraya-group.co.jp/toraya/bunko/historical-personage/186/
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庶民の味ともいえるいもようかんを和菓子として高めたのが浅草の「舟和」です。創業者の小林和助は1881年、新潟生まれ。上京後はいも問屋でいもようかんを作り、駄菓子屋に卸していました。それはさつまいもを蒸してつぶし、甘味を少し加えて煉り固めた粗末なものでした。しかし、安くて甘くて美味しいので、飛ぶように売れたそうです。そんな時、和助は「舟定」という和菓子店の主人、石川定吉と出会い、さつまいもに関する助言と指導をもらったことで、研究を深めていきました。そして1902年に羊羹司として「舟和」を創業。現在に至ります。屋号の「舟和」は師匠の屋号「舟定」と和助を組み合わせたものです。
さらに「舟和」は1903年には「みつ豆ホール」を開店し大人気を博し、「みつ豆」や「いもようかん」と共に「舟和」の名は全国に知られるようになりました。
参考:
・舟和の歴史(公式サイト)
https://funawa.jp/shop/contents?contents_id=51410
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