つなワタリ@捨て身の「プロ無謀家」(@27watari)です。
NHK教育テレビ(現Eテレ)の人気番組「できるかな」に出演していたノッポさん(高見のっぽ・高見映)が昨年(2022年9月)に心不全で亡くなっていたのがわかりました。88歳でした。
まずは速報です。
ノッポさんが亡くなられました。
高見さんは京都府出身。1967年から放送された「なにしてあそぼう」、後番組の「できるかな」では、一言もしゃべらずに鮮やかに工作を生み出す「ノッポさん」として90年の放送終了まで出演。着ぐるみの「ゴン太くん」とのコラボで人気だった。同時に、作家・高見映としても多数の児童書・絵本・エッセイなどを発表するほか、テレビ、舞台の脚本・演出・振付も手がけた。
引用:NHK教育「できるかな」の高見のっぽさんが昨年9月に死去 88歳(スポーツ報知/2023年5月10日 12時0分)
https://hochi.news/articles/20230510-OHT1T51067.html?page=1
魚拓URL:https://archive.md/bQUBM
突然の訃報に驚いています。私は地域で「◯◯◯のノッポさん」と呼ばれていた時期もあり、密かにノッポさん二代目を狙っていたこともあるので、かなりショックです。
では、訃報に対するネットの声を拾ってみます。
◯ノッポさん訃報に対するネットの声
なぜ昨年の時点で知らされなかったのでしょうか。「らしい」消え方のような気もします。そんな事も含めて、どのような声が多かったのでしょうか。やはりノスタルジックなものが多いのでしょうか。
<ノッポさん訃報に対するネットの声>
・先々月亡くなられた「帰ってきたウルトラマン」の団時朗さんもそうだったが、自分達が子供の頃のヒーローが亡くなられるのは、時代の流れとは言えとても悲しく寂しい。
のっぽさんのあの素晴らしい発想と制作力は、子供の自分にとってはまさにヒーローとも言える存在だった
・こどもの頃、よく見ていて、できるかなの最終回で言葉を発した事にびっくりした記憶があります。最近、サントリーのcmで布袋寅泰と芦田愛菜ができるかなを再現していたので、のっぽさんどうしてるかなと思ってました
・「できるかな」の最終回リアルタイムで見てました。本当の最終回にノッポさんが喋ったことを覚えています。あれから33年なんですよね。その後を受け継いだ「つくってあそぼ」も長く続いたんですよね。楽しませてくれてありがとうございます
・のっぽさんが亡くなった事を知って ふとナレーションのつかせのりこさんの事を思い出しました。そしてつかせさんが89年に亡くなられていた事を今更ながら知りました。のっぽさん、ゴン太くん、つかせさん良いトリオで良い番組でした
・突然の訃報に驚いています。私が幼稚園児から小学生時代にかけて放送されていたテレビ番組ですね。未だ頑張って長生きして欲しかったです。本当に残念です
・♪でっきるっかな でっきるっかな。“のっぽさん”の名前を見たとたん、テーマ曲が脳内再生されました。のっぽさんの手にかかると、みるみるうちに色々なものが完成していき、子ども時代の自分にとってちょっとした魔法使いでした
・チビとかノッポとか放送すると差別だと叩く風潮がなければ、もっと放送が続いてたんじゃないだろうか。昭和時代はおおらかな時代だったんだよな
・ゴンタくんとノッポさん好きだったなあ。工作が楽しいのあれで知ったよね
・スターウォーズのハン・ソロとチューバッカのコンビって、何かノッポさんとゴン太くんポイなと思いました。ゴン太くんもチューバッカも鳴き声で会話するし
・でっきるかなっでっきるかなっのフレーズとゴンタくんとのっぽさん。教育テレビと言えばこのイメージか高校野球中継
・just pop upではタップダンスを披露されてましたね
・できるかなの最終回で喋ったときのことを鮮明に思い出します。ショック過ぎます
・「おーい はに丸」の振付も担当していた
・のっぽさんありがとう!
・ゴン太くんも泣いてるよ
・のっぽさん世代で沢山影響受けた。子供の頃のっぽさんの作る工作が好きでよく手本見本にして作ってました。喋らないキャラクターでもあって独特な子供の時間を提供してくれたと思います
・小学生の頃、なぜかのっぽさんは話せない人なんだと思ってたし、ごんたくんの声がのっぽさんの声なのだと勘違いしていたので、病気で休んで偶然にできるかなの最終回を観て急に話し出した時の衝撃は凄かった。大人になって改めてトリビアの泉などで拝見して感じたのは、めちゃくちゃ背が高くて脚が長くてスタイルが良くてダンディーな方なのだと。
タップダンスをさらっとやってみせてくれたり話し方も品があって本当に素敵な方でした
・今頭の中であのテーマ曲が流れていますが、ゴン太くんとのコンビネーションは最高だったし楽しませていただきました
・今の時代と対極にあるような気がする。今はいちいち演者の何の含蓄も無いコメントにテロップ入れて、大したこともない話を大きくして。もう話芸でもない。語らずに見せて伝えることもたまには必要なんじゃないかと思うこともある
・喋らないけど、表情と身振りで子どもに分かりやすく伝わる人でしたよね。戦中戦後の苦しい時期を生きて来たのを感じさせない、子ども達が子どもでいる時間をくれた、優しい穏やかに微笑む人でした
・「できるかな」子供の頃見てました。番組では色々な工作をして最終回でついに口を開いたのが凄く印象深かったです。正午のNHKニュースで「自分の死去については周囲に騒がれたくはない。黙っていてほしい」という本人の意向があったそうです。如何にものっぽさんらしい人生の最期ですね
・当時のNHK教育テレビの中で最も好きな番組でした。新聞のテレビ番組表にできるかながあれば帰宅して必ず見てたな。いまモノづくりに関わる仕事してるけど自分にとってモノづくりの原点はできるかなです
・市のホールでのっぽさんショーを観に行ってそこで初めて低い素敵な声を聞いたのが印象に強く残っています
・ゴンタくんとの掛け合い。一言も発せず、身振りや表情で伝えて。エンターテイナーでした
・のっぽさんは、終始喋らずジェスチャーだけで楽しませて下さっていました。そして、『できるかな』の最終回で話したときは「のっぽさんが喋った?!」と驚きましたが優しいお声でそちらはなんとなく作っているときの表情で(優しい声なのかな?)と幼いながらに考えていました
・子供の頃、よく見てました。一言も話さないのに優しいおじさんで、なんでも出来て凄いなと思ってました。たくさんの子供達に夢を与えてくれてありがとございました
・子供の頃、いつも楽しみに観ていた番組でした。子供心に、なぜ喋らないんだろうと思ってましたが、ノッポさんを観ていて自然と引き込まれていく自分が不思議でたまりませんでした
・「できるかな」で、いつものっぽさんのご活躍を拝見し、楽しませていただいて育った世代です。話はされないけれど、いつも、にっこり微笑みながら番組に出演されていたことを思い出します
・アラフォーですが、自分も幼少期、できるかなはよく見ていました。身振り手振りを交えながら色々な物を作っていくノッポさん、ウゴウゴと鳴き声をあげながらノッポさんとコンタクトを取るゴン太くん。最終回には次番組のゴロリくんとワクワクさんが登場して引き継ぎ、そして、今までありがとうと話したんですよね〜
・背が高くて優しそうなおじさんという印象でした。最終回に喋ったというのを、つい最近知りました
・新聞か何かのインタビューで幼少期に母親に「不器用な子供だ」と言われ、その言葉がトラウマになって引っ込み思案になってしまったこと、大人になっても引きずり続けたことから、子供は小さくても繊細で純粋で本質的にとても賢い、大人はどんな時も子供をバカにしたり、からかったりするべきではないという事を仰っていたのが印象的でした
・リアルタイムで見ていた世代。「なんでのっぽさんは喋らないんだろう」と子供ながらに不思議に思っていた。当時の教育テレビの出演者は、若くて元気いっぱいのお姉さんが多かった(自分の記憶では)中、喋らないおじさんが器用に工作をしていく姿は独特ながらも、なぜか安心感を与えてくれた
・のっぽさんを真似て工作が作りたいと言っては今は亡き祖母に材料が欲しいとねだって困らせたっけ。自分が親となった今、息子が教育テレビを見て工作を作りたいと言われたとき、ふと懐かしくのっぽさんのことを思い出します。のっぽさん、たくさんの夢とアイデアをありがとう
・ずっとしゃべらなくてお話できないのかなと子供ながらにおもってましたが、最終回であーしゃべっちゃった!とお話されたのは衝撃でした
・いつも見ていましたし、無言のジェスチャーで現す動きをゴン太くんが答えてくれる掛け合い、本当に大好きでした…
・何かの番組で、小さい子供にも敬意を払って接していらっしゃる姿が印象的でした。タップダンスもとてもカッコよかったです
・子供の頃のっぽさんは喋れない障害者だとずっと思ってました。別番組でおヒョイさんと昔コンビを組んでいたと言って喋っていたのを見て驚いたのを覚えています
・1971年生まれのわたしは、がっつりど真ん中の世代です。手足の細長い「のっぽさん」の手からいろんなものが産み出されていく、そんな素敵な時間をみんな楽しんで見ていました。何年か前、初めてお喋りしているのっぽさんを拝見して、大感激しました。そしてグラスホッパーの歌を聞いて、まるで物語を見ているような感じがしたのを思い出しました。子供のことを、「小さい人」と言われていたのも思い出しました
・のっぽさんとゴン太くんを見て育ちました。友人がのっぽさんにインタビューしてから毎年届くという手書き部分もある年賀状を3年ほど前に見せてもらい、単純に羨ましくて「いいなぁー」と言った記憶があります
・高校生だった35年ほど前某遊園地でアルバイトをしていた時に良くお会いしていました。ステージでショーを披露していましたが最初に出演者ですと挨拶された時に誰だこのおじさんはと思ってしまいましたが帽子を被った瞬間に『ノッポさんじゃん!!』と興奮したのを今でも覚えています
・動きのベースは一流のタップダンサーで身体を動かす基礎を、なるほどなあと大人になってから知りました
・陽気な笑顔とはうらはらにとてもシャイだった高見さん。でも子供を「小さい人」と言って決して子供扱いせず真剣に向き合った高見さん。「できるかな」もモロ世代だったけど、映画「タンポポ」でオムライス作るホームレス役もメチャ印象残ってる
・声無しパフォーマンスは今思うと、アクションだけで表現することがどれだけ難しいことだったんだと驚かされます。当時は子どもでしたので、ただただ夢中で見ていただけ
・小1のときにテレビの時間で「できるかな」と「はたらくおじさん」は授業中にテレビを見せてくれてとても楽しみだっで好きだった。あのとき隣の席のあつこちゃんが好きだったけど、冷やかされて照れていじめちゃったな。そんな記憶も蘇ったよ
・できるかなはノッポさんと、ゴン太くん、それにつかせのりこさんのおしゃべりの三拍子が揃って見事な番組になっていた
・「できるかな」のもっと前から、ずっとNHK教育テレビの子ども番組に出演されていました。私が最初に注目したのは「これは…です」という番組で、「お姉さん」の周りで色々ドタバタを繰り広げる数人のキャストの中で、抜きん出て背が高く、動きがしなやかで美しく、「何という人なんだろう」と二度見してしまうほど輝いていました。そのしなやかな動きは、お父様から二代続いたタップダンサーだったことに由来するのだと、後から知って納得したものです
・当時、初見からしゃべらない背の高いおじさんに夢中になりました。佇まいというか雰囲気というか、それだけで優しさが伝わってくる印象でした
・のっぽさんを子供の頃観ていた世代です。子供の時この人は話せないんだ可哀想とずっと思っていました。同じように思ってた人もいるんじゃないかなぁ。声を発したのを聞いた時の衝撃は未だに忘れられない笑
・喋らないミステリアスなキャラクターでペタペタと貼り付けて折り曲げて面白いものを作り出すこの人の事を魔法使い的な何かだと本気で思っていた気がします
・ビデオが無かった時代でしたので、「できるかな」の時間に合わせて親に急いで帰ってもらって見ているほど夢中でした
・ゴールデンウィーク中に、たまたま、レンタルで伊丹監督のたんぽぽをダラダラと作業BGM代わりとして聞いていた。「できるかな」最終回より、こっちの映画の方で早くに喋って、しかもオムライスまで、パントマイム形式で作っていた
・番組を見て工作やもの作りが好きになって、自分の手を動かすことで何かが完成するということに大きな興味を持ち、今はもの作り関係(職人系)の仕事に就いています
・教育テレビの中でもピカイチで好きな番組でした! いろんな不思議をゴン太くんと共に、言葉なく技とジェスチャーでこども達から大人まで魅了した
・ノッポさんとゴン太君が大好きで時々、学校をズル休みして見ていました。ノッポさんの指先がとても綺麗だなぁと子供心に思っていました
・ノッポさんは私の憧れだった人。幼少期にいつも楽しみに、真似をしながら観ていました。工作が好きになり、お陰で学校の図工の成績はとても良く、中学の美術もいつも5でした。出産後は子供たちと工作を楽しみました。ノッポさんがいなければ、工作の楽しさには気付かなかったでしょう
・成人して就職して、お得意様のご自宅に訪問した際に、そこの子供さんが『できるかな』を見ていて、のっぽさんが私が子供の頃と全く変わらない風貌で出演していらしたので驚きました
・昔の子供はポンキッキにできるかな、日本昔話などたくさん心の成長や栄養になる番組がたくさんありました。カラフルな子供時代でした
・子供の頃の大切なものがまたひとつ無くなってしまった気がします….家の中にある物を探し出して、自分で色々作ってました。でも全然ノッポさんのようには出来上がらず泣いたこともありました
・大きな段ボールが手に入れにくかった幼少期に大型の工作をたくさん作って見せてくれた
・昔、シェリーが主人公をやっていたオズの魔法使いの中で高見さんカカシの役やってましたね
・平成生まれの僕にとっては、かつてNHKのみんなのうたで歌われた「グラスホッパー物語」でタップダンスで踊ってたのっぽさんが印象に残ってますね。今も聴くと「いつの間にか時は過ぎ、若き日は遠くなる…」という歌詞で泣きそうになります
・つかせのりこ氏の解説?が良かったのもあるんだよなぁ。でも子供の頃は、ゴン太君の声をつかせ氏がやっていると勘違いしていた
・メインの登場人物が発語しないなんて、ものすごくレベルの高いことをやっていた番組だったのだなーって思います。言葉はなかったけれども、のっぽさんとゴン太君交流していて、見ているこどもたちも皆、のっぽさんとゴン太君が大好きで番組に釘付けだった!
・成人式の時の講演にノッポさんが来てくれて、大きな風船とできるかなの衣装で客席から登場して壇上でスーツ姿に早着替えしてノッポさんが喋った時の事を今でも覚えています
・亡くなられたのは寂しいですが、みんなの心の中に生き続ける人
・半年以上伏せてほしいというのは、周りへの配慮があったのだろうなと思った。亡くなった直後に発表して、色々慌ただしい中で取材とかされたら、家族も関係者も大変だものね
・話さないけど言いたいことがよくわかる、面白くて妖精のようなおじさんだと思っていた。タップダンスは子供心にも圧巻だった
・番組製作の仕事をしていた新入社員の頃、番組内でのっぽさんの写真を利用させて頂く事になり、ご本人から直接お写真をお借りする折に、ある駅前の喫茶店で待ち合わせさせて頂きました。約束の時間前にいらっしゃったのっぽさんは「これからのTVは君みたいな若者が背負っていくんだ、忙しくて寝る間もないだろうけど、こうやって時々休むことも大切だよ」とコーヒーをご馳走してくださいました
・「できるかな」は子供の頃の定番番組だったよな。バブルの頃は、サザエさんとかドラえもん・世界名作劇場・日本昔話等子供向けや家族で視聴する定番番組が沢山有った時代の一角。昔はこうやって子供に道徳や日本の習慣や常識を教えたり、物事に興味を持たせてたんだよね
・小さい頃は色々とたくさんの教育番組を見た筈だけど記憶にしっかりと残ってるのはノッポさんだけ。喋らないけど大振りな動作とか思わせぶりな表情とか表現力凄くて面白くて毎回夢中になって見ていた
・のっぽさんは喋らなかったから、見ることに集中すれば何をしているのか、何がしたいのかを理解できるってことを知った。幼い心に、「そんなことするのっ?」という夢のようなわくわく感と想像力と創造力を与えてくれた
・昨年9月に亡くなられているのに、本人のご意向で「半年間は自分が亡くなっても世間には公表しないでほしい」とは、この言葉を聞いて自分は涙が出た。子供向けの番組をやっていたからきっと自分が死んだと聞けば当時できるかなを観ていた世代などにショックを受けさせてはいけない、夢を壊してはいけない、だからすぐに公表するのはやめてほしい、というのっぽさんのお気持ちがあったんだろうね
・最終回まで、一言も話していないってなってるけど、ある回の放送で公園で紙飛行機を飛ばして楽しむ会があって、子どもたちとノッポさんが一斉に飛ばす時、ノッポさんが「せぇーの!」って言っている声をマイクが微かに拾ってて番組を見ていた私の耳に届いた。当時、子供だった私は、ノッポさんが喋った!と凄く衝撃を受けた記憶が…
・昔の教育番組はよかったな‥夢を与えてくれたし、もう一度観たい番組も多い
・「できるかな」は本当に夢を見させてもらった。今の時代のように、色んなアイデアが手軽に入手出来ない時代に、「すごい!楽しそう!」な事がいっぱいだった。再現しようとしてもうまくいかず、私にとっては芸術家でした
・ノッポさんが身振り手振りで工作してる横でゴン太くんが「ウホウホ」言って、そこにナレーターのつかせのりこさんが色々ツッコミを入れていく。ノッポさんだけじゃなく三位一体の番組だったよ
・まだ3歳くらいでしたがこの最終回はとてもよく覚えています。最後にしゃべってくれたのが嬉しすぎて『ママー︎ノッポさんが喋った︎』とわざわざ呼びに行ったほど! 子供ながらにすごく特別なことに感じてたんだと思います
・しゃべらないことが当たり前だったので1㎜の違和感もなく観ていました。 大人になって客観的に観てみるとなかなかシュールで独特の世界観だったんだなと改めて感じる
・小さい頃、本当に楽しませてもらい、ジェスチャーだけでも何を伝えたいかわかる、子供達のヒーローでした。高齢者介護の仕事をしていますが、ノッポさんの身振り手振りや表情の豊かさは、今の私の仕事で高齢者と関わる際の教科書になっています
・のっぽさんのチューリップハットがすごく似合っていたと子供ながら思っていた。身長が高いので似合っていたんだろうなあ
・最近の子供は、家にある、割りばしや、紙コップや、ストローで工作して遊び道具を作るとか、せんやろな~。生まれた時から、インターネットがあって、スマホがあって、ツイッターやインスタやSNSがあって、そんな時代に生まれて、価値観も概念も何もかも違うだろうし
・今はネットで簡単に見ることができる時代。昔は学校を休まないとなかなか見ることができなくてね…。初めはノッポさんの声なのかゴン太くんなのか、ワクワクさんなのかよく分からず見てたw
・最後の最後まで「不思議」な人だったと思う。ナレーションとゴン太くんはしゃべるけど、ノッポさんは表情と手先だけでしゃべらない。しゃべらないけど思いが伝わってくる。思いを伝えてくれる
・一言もしゃべらずに魔法の様にその手で何でも作り上げてしまうノッポさんは憧れだった
・愛されキャラが亡くなるのは淋しいです。NHKは「できるかな」や「グラスホッパー物語」を再放送してくれないですかね。今の子どもたちも喜んで見てくれるんじゃないかと思います
・子どもの頃に大好きだった「できるかな」と「のっぽさん」。子どもができて、DVDを買って一緒に観て英才教育?しました。その成果はまだ表れていませんが。また、昭和が終わったと感じるニュースです
・知っている人が次々亡くなって寂しいですよ。ほんとうに昭和が遠くなりました
・今のようにYouTubeが当時あったら、世界中の方がのっぽさんのファンになったと思います。しゃべらないのに表情や身振りで感動を届けられる稀有な方。安らかに
・ノッポさんも良かったですが、実写版のオズの魔法使いの案山子役も合っていましたね
・ゲームウォッチすら無いペットボトルも無い時代で画用紙や段ボールから何でも作るのでいつもワクワクして観てました
・去り際、生き様共に最期の最後までシュール以外の何者でもない。人生の先輩に格好いい 生き様を見せていただいた
・ ・ ・
ネットでは悲しみと懐かしさがあふれるコメントが多かったでした。
ノッポさんの映像を見て追悼
ノッポさんの映像をサクッと集めて貼っておきました。ぜひご視聴ください。
まずは本家NHKの報道をご覧になってください。衝撃の「あーあ、しゃべっちゃった」映像も紹介されています。
引用:「高見のっぽさん死去 88歳 子ども番組「できるかな」で活躍」(NHK/2023年5月10日 11時50分)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230510/k10014062481000.html
こちらは同じくNHKのツイッターです。
【訃報】高見のっぽさん死去
NHK教育テレビの番組「できるかな」で「ノッポさん」として長く親しまれた俳優の高見のっぽさんが心不全のため88歳で亡くなりました
動画は1990年に放送の「できるかな」最終回、ノッポさんが番組内でしゃべった貴重なシーンですhttps://t.co/I52ricIhPV#nhk_video pic.twitter.com/Q5F72NFx6y
— NHKニュース (@nhk_news) May 10, 2023
音楽番組「ジャストポップアップ」に登場した渋いノッポさんがこちら。
引用:高見のっぽ ジャストポップアップ(NHKアーカイブス)
https://www2.nhk.or.jp/archives/articles/?id=D0009122031_00000
あの頃小さかった人たちへ 高見のっぽさんからメッセージ(2015年12月8日掲載)朝日新聞デジタル
「子どもが大人にだまされた」 ノッポさんが訴える戦争の愚(毎日新聞)
映画『たんぽぽ』(監督:伊丹十三 1985年)でオムライス作るシーン。
ノッポさんがワクワクさん、ゴロリを紹介
ゴン太くんの声!ブラジルの楽器クイーカ 『三沢またろうの叩いてみたらちょっとだけ音が出た!』できるかな
【秋葉原・アキバ】ゴン太くんが帰ってきた!(Japanese Character “GONTA”)
できるかな オープニング BGM
サントリー天然水『未来のためにできるかな?』篇 30秒 布袋寅泰 芦田愛菜 サントリー CM
<おまけ>ノッポさんの身長は? ゴン太くんも意外と高身長だった!
最後にノッポさんのプロフィール的なことを紹介しておきます。なんといってもノッポさんは名前のとおり、高身長がトレードマークでした。実際の身長は181cmというのが公式発表となっています。ちなみにゴン太くんもなかなかの高身長で175cmとなっています。
<ノッポさん プロフィール>
・生年月日:1934年5月10日 京都府太秦生まれ。
・本名:高見 嘉明(たかみ よしあき)
・芸名:高見 のっぽ(以前は高見 映)
・俳優・芸人だった父・嘉一の影響で芸能界へ。NHKの番組『不思議なパック』のプロデューサーに気に入られ、32歳のときにNHK教育テレビ『なにしてあそぼう』のノッポさん役に抜擢される。『なにしてあそぼう』後に『できるかな』がスタートしたが、当初は出演していなかった。しかし、視聴者からの要望でレギュラーとなり、最終回までジェスチャーだけのキャラクターを演じきった。本人は不器用でセロテープすらうまく使えなかったため、スタッフには「セロテープのノッポさん」と呼ばれていた。内容はゴン太くんと声の「のこおねえさん」との打ち合わせをしながらの即興的なもので、最後まで緊張感がある形で作られた。とくに15分の音楽を意識したモノづくりエンタメミュージカルといった新しいスタイルを打ち立てたともいえる。ちなみに『できるかな』の前身である『なにしてあそぼう』は非常に自由な発想でのエンタメ番組であったことは間違いない(下記映像参照)。2005年にはNHKみんなのうた「グラスホッパー物語」で歌手デビュー。2013年には宮沢賢治没後80年記念事業 「ひとり芝居 ノッポさんの宮沢賢治~ぼくは賢治さんが大好き!」を手がけた(出演・演出・選曲)。
読書家としても知られており、スウィフト『ガリヴァー旅行記』、井原西鶴『日本永代蔵』、ジョイス『ダブリン市民』。とくに『ガリヴァー旅行記』は魂が震えるくらいの「人間弾劾の書」だと絶賛し、宮澤賢治は「唄いながら書いていたにちがいない」、「『論語』は吹き出しながら読みなさい」など、独自の解釈がユニーク。(参考:「本は世の中で一番大事なもの」―のっぽさんがオススメする意外な3タイトル!のっぽさん自伝『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき』刊行記念独占インタビュー後編 ブクログ通信 https://booklog.jp/hon/interview/nopposan-20180117)
著作などは以下のとおり(クリックすると、アマゾンのページに飛びます)
・『グラスホッパー物語』https://amzn.to/42Lnugf
・『ノッポさんがしゃべった日』https://amzn.to/430umqf
・『ノッポさんのドクトルふくろうの処方箋』https://amzn.to/42JNl82
・『ノッポさんのひとりごと』https://amzn.to/3nOzBu0
・『ノッポさんのえほん』https://amzn.to/42os18y
・『ノッポさんの劇遊び くるまがゴットン+キミちゃんのひっつきあそび』https://amzn.to/3BjP48l
・『五歳の記憶〜ノッポ流子どもとのつき合い方』https://amzn.to/42kUeNm
・『ノッポさんの「小さい人」となかよくできるかな?~ノッポ流 人生の極意~』https://amzn.to/3pqf3IS
・『夕暮れもとぼけて見れば朝まだき――ノッポさん自伝』https://amzn.to/3VOYYZ6
・「ノッポさん 帽子 チューリップハット」https://amzn.to/41j00hn
・「ノッポさん グッズ」https://amzn.to/3pqDGFa
・「ゴン太くん グッズ」https://amzn.to/3VY3HrB
『なにしてあそぼう』(NHKアーカイブス)
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009042439_00000
言葉をいっさい話さないキャラクター「ノッポのおにいさん」のパントマイムで、くまの子「ムーくん」と造形あそびをすることによって、創造への意欲を高めるのがねらい。1967年11月、日本賞教育番組国際コンクールに参加し、郵政大臣賞を受賞。1970年から20年続いた幼児のための人気学校放送番組『できるかな』の前身番組。作:山元護久。作曲:宮崎尚志。出演:高見映ほか。(放送年:1966~1969年度)
<ゴン太くん プロフィール>
・生年月日:1974年4月1日
・身長:175cm
・体重:20キロ
・製作者:石井マリ子
・中の人:井村淳
・ウゴウゴと言う声は、クイーカという楽器によるもの。
・動物ではないが「ナンデモシリタガリヤ科」に分類されるという説がある。
・財産:100円玉7個、1000円札1束、おむすび2個、たくあん2切れ、せんべい1枚、絵本1冊、ピョンカチ1個、ナフキン1枚、ハサミ1丁、ネクタイ2本、つけひげ5個、バスケット1個
ゴン太くんは帽子を被る事で、ノッポさんとの身長差を出している。
・好物:おむすび、その他いろいろ
・嫌いなもの:いじめっ子
・特技:変身(ほとんどの生き物、人間、動物に変身できる。ただし、ヘビなどといった形の長い生き物への変身は苦手)
ご冥福をお祈りいたします・・・。
では!