つなワタリ@捨て身の「プロ無謀家」(@27watari)です。
『忠臣蔵』で知られる吉良上野介義央の江戸上屋敷跡ですが、現在は「吉良邸跡」として屋敷の一部が残されているだけです。関連情報を簡単にご紹介します。
【目次】本記事の内容
残っている面積はわずか! かつての86分の1の規模
討ち入り当時の吉良邸は、2550坪(8400平方)でしたが、現在の「吉良邸(本所松坂町公園)」の面積は、97.56平方です。かつての86分の1の規模となります。当時の状態で残っているのは、「首洗いの井戸」だけです。
外観はこんな感じです。
こちらが解説。
入口の横にある石碑です。
敷地の中央には吉良上野介義央の像が。
公園の奥隅にある「首洗いの井戸」です。この井戸の石は当時のままです。
12月14日前後には観光客も多いようですが、私が行ったのは全然関係のない平日。たまたま墨田区の観光ボランティアの方がいらっしゃって、丁寧にいろいろと話を聞かせてくださいました。
施設には簡単なパンフレットもありました。
これです。
吉良氏はなかなかの人物だったようです。
ちなみに「忠臣蔵」に関して記事も書いています。よかったらどうぞ。
吉良邸跡は両国駅から徒歩約12分程度かな
吉良邸跡(本所松坂町公園)は両国駅から徒歩約12分程度です。公式では約7分となっていますが、初めて探しながら行くならば、約7分では無理でしょう。そこそこ遠いです。しかし、両国は見どころもあそれなりにありますし、普通に路地を歩いていても古い建物があり、けっこう飽きずに辿り着けると思います。
住所:東京都墨田区両国3-13
マップ:
案内図:クリックすると画像は拡大されます
関連ホームページ
・吉良邸跡(本所松坂町公園) すみだ観光サイト
https://visit-sumida.jp/spot/6175/
せっかく行ったならば、周辺散歩してみて!
吉良邸跡(本所松坂町公園)の周辺にも見どころがあります。いくつか紹介します。
○大川屋「吉良まんじゅう」をおみやげに!
まず、おみやげにおすすめなのが、大川屋「吉良まんじゅう」です。
大川屋は吉良邸跡(本所松坂町公園)の目の前にあります。
こちらです。
名物の「吉良まんじゅう」のほか、最中や生菓子、おに平団子などが人気のようです。
○大川屋と吉良邸の間に佇む「飯澄稲荷神社」
大川屋と吉良邸のには、とても小さな飯澄稲荷神社があります。
飯澄稲荷神社に関しての情報はあまりありません。元々は葛飾北斎の養父(実父の可能性も高い?)である、中島伊勢の住居跡だったようです。
これが看板です。
書かれている内容はこちらです。
鏡師中島伊勢住居跡
中島伊勢の住居は、赤穂事件の後、町人に払い下げられ、本所松坂町となったこの辺りにあった。伊勢は、幕府用達の鏡師で、宝暦13年(1763)、後に葛飾北斎となる時太郎を養子とする。
北斎の出生には不明な点が多く、はっきりとしたことは判らない。中島家はこの養子縁組を破綻にし、実子に家督を譲るが、北斎はその後も中島姓を名乗っていることから、中島伊勢の妾腹の子だったという説もある。
飯島虚心の「葛飾北斎伝」によると、北斎の母親は赤穂事件に登場する吉良方の剣客、小林平八郎の娘で、鏡師中島伊勢に嫁いでいるとしている。この話は、北斎自身が広めたようです。
調べてみると、北斎の父は中島伊勢である説が有力です。
○少し歩くと、「勝海舟生誕の地」も
吉良邸から少し歩くと「勝海舟生誕の地」というのもあります。現在は公園ですが、ちゃんとした写真スポットもあります。
こんな感じです。
関連ホームページ
・勝海舟生誕の地 すみだ観光サイト
https://visit-sumida.jp/spot/6069/
○突然現れるモダンな建築「リバーホールディングス両国分室」
建築好きならば、ぜひチェックしてもらいたいのが2022年に「日本コンクリート工学会賞」を受賞したリバーホールディングス両国分室です。
こちらです。
設計施工は竹中工務店です。詳細はこちらをごらんになってください。ついでにキレイな写真も貼っておきます。
https://www.takenaka.co.jp/majorworks/21815252020.html
○緑一丁目には、イラストの達人がいる!?
道を歩いていると、掲示板にアナログのポスターが貼られていました。「防災訓練」の案内です。これです。
アナログですが、とても素敵なイラストです。誰が描いたんでしょう。めっちゃ気になりました。墨田区緑一丁目には、イラストの達人がいるのは間違いなさそうです。
○株式会社フレームマンも吉良邸そばに
株式会社フレームマンという会社(http://frameman.co.jp/)はご存知でしょうか。写真業界を中心に額装関連や美術作品の運搬、空間プロデュースなどを手掛けている会社です。創業して半世紀ほどの歴史があります。
道を歩いていると、大きな美術輸送車がありました。
○火曜日だけ開館する「相撲写真資料館」
これは誰だかわかりますか?
二所ノ関部屋に入門したばかりの納谷幸喜(のちの大鵬幸喜)です。これは1956年頃の写真です。
なんと!
大鵬の出生名はイヴァーン・ボリシコ!
父親はウクライナ人だったのです。イケメンでタフな印象に納得しました(いまさら!?)。
・ ・ ・
両国は散歩スポットとしては、かなり面白いです。
吉良邸に行かれる方は、ぶらりと周辺散策してみてくださいね。
では!
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