つなワタリ@捨て身の「プロ無謀家」(@27watari)です。
気になった謝罪文の実例を収集してアーカイブしている記事です。謝罪するようなことが起きないことに越したことはありませんが、もしご自身や仲間に何かが起きた時に参考にしていただければ。
今回は、謝罪に関して発信している信田さよ子さんのメッセージなどを紹介します。
【目次】本記事の内容
「不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません」はヘン!?
2022年より日本公認心理師協会会長を務める信田さよ子さんは、お茶の水女子大で児童学を専攻した公認心理師・臨床心理士。1995年に原宿カウンセリングセンターを設立してアルコール依存症、摂食障害、ドメスティック・バイオレンス、子どもの虐待などの問題に取り組んできたことで知られています(現在は顧問)。
信田さよ子さんが謝罪に関して、納得のツイートをされていましたので紹介します。
こちらです。
いろいろなところで謝罪の定型文が出回っているのだろうか。このところ謝罪のおたよりをいただくことが多いのだが(郵送の時点で丁寧さは感じる)、必ず「不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません」とある。
これってヘンではないか。— 信田さよ子 (@sayokonobuta) July 5, 2022
この投稿はいくつかに渡ってツイートされています。とても重要ですので、まとめておきます。
いろいろなところで謝罪の定型文が出回っているのだろうか。このところ謝罪のおたよりをいただくことが多いのだが(郵送の時点で丁寧さは感じる)、必ず「不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません」とある。これってヘンではないか。
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自分がやったこと(○○をしてしまったこと)に対して謝るのではなく、私が不愉快な思いをしたことに謝るという文面になっている。私が不愉快でなかったらあやまらないのか。責任をとること(謝罪もそのひとつ)のキーポイントは「説明責任」(アカウンタビリティ)だ。
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自分のやってしまったこと、その結果相手に「不愉快な思い」「深い傷付き」をさせたことを謝るのが説明責任だろう。ちゃんと自分のやったことを記さない謝罪文はありえないと思う。
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許可なくして○○しました、内容を誤って引用してしまいました、といった自分の行為を記さない謝罪は有害ですらある。あなたが不愉快な思いをしたんですね、だからあやまりますからこれ以上文句言わないね、と主張しているようにも読める。このような謝罪文で幕引きを図るほうが問題ではないか。
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ネット上で謝罪文の書き方が出回っているとしたらこの点(自分のやってしまった行為をそのままちゃんと書く)も強調した定型文をアップしていただきたい。
謝罪文もらって却って不快になってしまったので書きました。(長文失礼しました)
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傷つけてしまってごめんね、というあやまり方はダメということです。
一連のツイートを読んでいただければ充分ですが、ポイントは「責任をとる」ということです。そのためには「説明責任」(アカウンタビリティ)が欠かせません。
大事なことです。
○謝罪文ではなく、顛末書(てんまつしょ)を意識しよう
私は謝罪文を収集して記事にしていますが、見事な謝罪文は意外と多くはありません。むしろなんとなく誤魔化そう(自分は悪くない)という下心が透けて見える謝罪文が非常に多いことに気づかされます。
いや、それどころか「謝るのは負け」だと思っているのか、謝罪文すら出さない企業も多々あります。
謝ることはしたくありませんが、トラブルが起こったら、謝罪文という曖昧なものではなく、顛末書を意識するといいでしょう。
○顛末書とはどういうものなのか?
顛末書とは、具体的なトラブル報告書であり、二度と発生させないための対応策と合わせて提出するビジネス文書です。
顛末書の構成は、「いつ、どこで、何が起きたのか」「誰に、どういった被害をもたらしたのか」「現状の対応状況はどうなのか」「再発防止の対策はどうするのか」「意見(反省)」といった流れとなり、できるだけ具体的かつ簡潔にまとめることが求められます。
謝罪する場合は、顛末書の構成を前提にまとめることが重要でしょう。
信田さよ子さんの謝罪原稿は勉強になる
謝罪文ではありませんが、信田さよ子さんが自身の原稿に関して謝罪している記事があります。参考になりますので、ぜひ一読ください。
私の連載記事が、訴えられている側(加害者側)に利用される危険性もある。「自分たちがやったのは性暴力じゃない、セクハラにすぎない」という根拠になるかもしれない。
私自身が自分の行為の加害性を認め、そのことを率直に謝罪しようと思った。反省します、ごめんなさい、という定番どおりの筋書きではなく、何に対して、自分の行為のどの部分に対して謝罪するかも具体的に提示しなければならない。これが説明責任である。
繰り返しになるが、本連載でセクハラという言葉の具体例として「本件」を挙げたのは不適切だったことを伝えたい。ログハウスシューレで起きた性暴力の事件の被害者に対して、私の書いた内容が衝撃を与えたことは想像に難くない。それに対して申し訳なく思っている。
私のカウンセラーとしての姿勢は、力の弱いほうの立場に立つことを基本としてきた。それが時として二次加害的影響を与えてしまうことに対して、あまりに無自覚だったと思う。率直に批判し抗議してくださったひとたちによって、このような気づきを得られたと思う。
引用:第6回 本連載に関しての謝罪文(晶文社スクラップブック/2022-08-02)
http://s-scrap.com/7870
魚拓URL:https://archive.md/Iorly
なかなか考えさせられる文章ですが、中でも「本連載に寄せられた抗議に対して、私の中でスルーすればいい、無視すればいい、という声がなかったかと言えば嘘になる。毎回徹夜状態でキーボードを叩いていると、「こんな大変な思いで書いているのに」という被害者意識がむくむくと湧いてくるのも自覚できた。」というくだりは、非常に生々しい気持ちが吐露されていると感じさせられました。
信田さよ子さんのインタビューなど
信田さよ子さんのことが気になったので、関連記事やインタビューなどを紹介します。
暴力におびえている時や身体に不調がある時に,自分の心に向き合うことはできません。安全安心が保障されないと,心って生まれないですよね。はやりの言葉でいえば「心理的安全性」と表現してもいい。そうなると心理の仕事の外延は,医療を含んではるかに広がってきます。
引用:「心を発見する」プロセスに向き合う(医学書院/2022.08.01 週刊医学界新聞(通常号):第3480号より )
https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2022/3480_03
魚拓URL:https://archive.md/psufv
私は「心 = 情緒」と考えています。10代のときに数学者の岡潔氏の「数学は情緒である」という言葉と出会い、あらゆる論理的な思考は情緒の上に成り立っていると体感しました。
「心」というの言葉は、非常に抽象的です。信田さよ子さんがここで話している「心」というものは、さらに深く掘り下げる必要があると考えますが、その糸口になるのが「情緒」であると私は確信しています。
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私の考える「弱さ」って、構造上の問題なんです。たとえば、非正規雇用者はなかなか手取りが上がらない状態を強いられているし、女性が男性と比べ、社会の中で不利な立場に立たされているのも長年変わらない。そういった不平等や差別を受け、構造的に感じざるを得ないものが「弱さ」だと思います。
ノーって言えないのも組織の中で力を持った人に従わざるをえない立場なのも、本人の問題じゃないですよね。あくまで構造上の問題じゃないですか。
私の中では、「自己責任」と「弱さ」、それに「自己肯定感」は3点セットみたいなイメージなんです。「もっと自己肯定感を上げないと」という言葉と「私は弱いから」という言葉は、根っこにあるものはほとんど同じ気がしますね。
2000年代以降、いわゆる自己啓発の文脈で使われるようになってきて、「自己肯定感が低いのはよくない」「自己肯定感をもっと高めよう」なんて言われ始めた。ポジティブとネガティブというわかりやすい対立構造が生まれたのもそれ以降だと思います。最近はもう、「ポジティブでいよう」というのがある種の強迫のようになっていますもんね。日本に蔓延している張り詰めたポジティブのムードって、ちょっと異様ですよね。
私はちょっと乱暴に言うと、こんな時代に常にポジティブでいられるほうがバカなんじゃない? って思ってますから(笑)。ポジティブになれないのは自分が弱いからだなんて考えなくていい。
引用:弱さは個人の問題ではなく、構造上の問題だ。公認心理師・臨床心理士 信田さよ子さんと考える“弱さ”のこと(こここスタディ vol.08/2022.08.12)
https://co-coco.jp/series/study/sayokonobuta/
魚拓URL:https://archive.md/48DY7
この異様なポジティブ感は今後も拡大していくと思われます。だからこそ、今後はクローズドなコミュニティで自分の弱さを開示したり、共感や共有する活動がさらに必要になってくるでしょう。また、それを悪用する人も登場するでしょう。
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ひどいなあとは思いますけど、怒りを動機に仕事はできないんですよね。私はジェンダー的には女性ですけど、もし男として生まれたらこの人たちと同じことをやっていたかもしれないっていう思いがあるんです。怒りはない、と言ったら嘘かもしれないけど、好奇心が勝るんですよ。
ものすごい引いちゃうんです。天高く、30メートルくらい上に行って、そこから見ているような。それは乖離なのかもしれないけれど、私の中に怒ったらおしまいっていう思いがあります。
引用:三者三様の「聞く責任」。信田さよ子さん(カウンセラー)×上間陽子さん(教育学者)×岸政彦(社会学者)さん/本『言葉を失ったあとで』刊行記念トークイベント(雛形 hinagata/2022.02.16)
https://www.hinagata-mag.com/think/46997
魚拓URL:https://archive.md/aXpHK
どういうポジションで、何を、どのような気持ちで聞いたかによって、最終的に形になるものに差が出てきます。信田さんのような俯瞰力はとても重要だと感じます。
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面前DVが登場する前は、DV被害者というポジションだけで対応が求められた被害女性に、新たに子どもにDVを見せた加害者というポジションが与えられたことになる。加害・被害パラダイムが家族関係のどの位相に適用されるかによって、いたずらにDV被害者を圧迫することになったのだ。
引用:「DVを夫の愛情表現と考える女性は珍しくない」 加害者プログラム参加男性の80%以上が持つ“ある経験”とは(文春オンライン/2021/03/10)
https://bunshun.jp/articles/-/43844?page=3
魚拓URL:https://archive.md/GEHrr
社会の制度、社会の精神性などによって翻弄されてしまう人もかなりいるのでしょうね。少なくとも私は判断力を単純な自分の感情論に委ねていることが多いことに気づかされます。ジャッジをする前に、社会の背景なども精査することが必要でしょう。
時代の転換期だからこそ心を守るために読んでおく必要がある信田さよ子さんの著作
現在は時代の転換期です。価値観も大きく変わろうとしています。その中で社会の空気を瑞々しいものとして吸収するのか、毒ガスのように受け止めるかは、自分の思考次第です。
信田さよ子さんの著作(←クリックすると、amazonのページに飛びます)を読み、認知し、把握し、思考し、その上で自分なりに判断する姿勢が必要な気がします。
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参考:信田さよ子さんの著作
・『家族と国家は共謀する』(角川新書)https://amzn.to/3FhvknJ
・『タフラブ 絆を手放す生き方』( dZERO)https://amzn.to/3UU8Sa4
・『母が重くてたまらない』(春秋社)https://amzn.to/3hfKcLi
・『後悔しない子育て 世代間連鎖を防ぐために必要なこと』(講談社)https://amzn.to/3UKZjtQ
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では!
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