目次
片付けしないと運気が下がる説は、根本的に間違っている!?
脳はそのままの言葉を受け取る。
だからこそネガティブな言葉を
口に出してはいけない
こんなことを以前に書いた。
https://27watari.com/voice-of-cherub-017
それと同じことは見ることでも起きる。
汚い部屋は運気が下がるという説がある。
それは根本的に運気の問題ではなく、
脳が汚い状態を普通だと感じるから
良くない方向に進むのではないのか?
不要なモノに囲まれていると、
自分も不要なモノと思うようになる。
壊れたモノを放っておくと、
自分も壊れる状態になろうとする。
キライなモノと接していると、
自分のこともキライになってくる。
使わないモノがたくさんあると、
自分の行動力も弱まっていく。
すべて目に見えるモノに
脳は影響受けてしまうのではないか。
ずっとピリッとしない生活を送っている。
恥ずかしい話だ。
それは意志の問題ではなく、
目に見えるモノがスッキリとしていない
からではないだろうか?
夜中に自分のまわりを見渡していたら、
ふとそんなことを思ってしまった。
意に反しながら断捨離すると、冷淡な人間になっていくのでは?
オレは断捨離が非常に苦手だ。
なんでもかんでも捨てればいいとは
根本的に思っていないからだろう。
裸一貫からやり直そうと思うならば
なんでもかんでも捨てるのが
きっとベストだなんだろう。
しかし、大事だと思っているモノを
いとも簡単に捨てるなんて、
先述の思考から考えると、
血も涙もない切り捨て上等の
人間になってしまうことになる。
これはできない。
だから断捨離は向いていない。
では、どう考えていけばいいのか?
すべての生命に寿命があるように、モノにも寿命がある
無い知恵を振り絞って考えてみた。
そこで頭に浮かんできたのが、
「寿命」というキーワード。
すべての生命には寿命がある。
これは宇宙の真理だ。
そのことと同じように、
モノにも寿命があるのではないか?
そんなことが頭をよぎった。
もしモノに寿命があるならば、
しっかり弔ってやることが必要だ。
モノの寿命と自分勝手な需要を
混同してはいけない。
それは傲慢な思い込みにすぎない。
傲慢な思い込みが
死体の山の中で暮らすことになる。
死体に囲まれて生きていたら、
幸せになれるはずがない。
捨てられなかったモノが捨てられるようになる「クリアマインド式片付け」
モノの出会いも、人の出会いも同じだ。
つまり
モノとの別れも、人との別れと同じだ。
汚れたものをキレイに
輝かせることができないならば
そこが別れの時となる。
不要なモノを以前のように
大事にできないならば、
そこが別れの時となる。
壊れたモノが直して
使えないようになったならば、
そこが別れの時となる。
好きだったモノが
キライになってしまったならば、
そこが別れの時となる。
捨てるのか、
誰かにあげるのか、
売るのか、
弔い方はさまざまだ。
モノと自分との関係が終わってからも
意味なく関係を続けてることは
お互いに不幸になるだけだ。
感謝の気持ちを持って弔おう。
これは断捨離とは違う意識なんだと思う。
弔うという言葉が暗いイメージならば、
「浄化」とか「クリア」いう言葉が
マッチするだろう。
モノの寿命を考え、
感謝の気持ちで空間を浄化させる。
これを「クリアマインド式片付け」と
名付けることにしよう。
こう考えると、モノとの接し方が
グッとクリアになってくる。
そして、捨てられなかったモノが
捨てられるようになる。
↓[ Googleセレクト 関連コンテンツ ]↓
つなワタリ
宮城県仙台市出身。夢を持って上京後、さまざまな活動を経て編集者へ。人が好きで、好奇心が強く、誰かに何かを伝えるのが好きなキャラを活かす形で仕事漬けの日々を過ごし、締切に追われながら、気がつけば四半世紀以上もの時間が経過してしまったロートル。仕事と並行しながらアートイベントを立ち上げ、多様な表現関連の企画にも携わる。同時に杉並エリア中心に地域活動も続けて20年ほどとなる。一旦はバーンアウトし、心身共に低空飛行が続いているが、フリーでエディトリアル・アーティスト「プロ無謀家@つなワタリ」として自分の生き様を模索中。詳しいプロフィールや仕事キャリアなどはこちら。
■ ツイッターはこちら
■ LINEで気軽に問い合わせする
■ メールで問い合わせする
■ 会社サイトはこちら