SF漫画『超人ロック』(←クリックすると、アマゾンのページに飛びます)の作者で知られる聖悠紀(ひじり ゆき)さんが亡くなりました。72歳でした。
TBSニュースでは生前の写真が掲載されていました。撮影時の年齢はわかりませんが、なかなか若々しい印象です。
その様子を伝える記事がこちらです。
2022年10月30日に肺炎のため亡くなっていたことがわかりました。72歳でした。少年画報社の公式サイトが公表しました。葬儀式はご家族のみで執り行い、後日「お別れの会」 を予定しているということです。
引用:【超人ロック】漫画家・聖悠紀さん(72) 死去 肺炎のため(TBS NEWS DIG/2022年12月16日(金) 16:28)
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/237396?display=1
魚拓URL:https://archive.md/UreWb
・ ・ ・
少年画報社の公式サイトが「訃報 聖悠紀先生 ご逝去」と題して公表した内容はこちらです(クリックすると、画像は拡大されます)。
引用:訃報 聖悠紀先生 ご逝去(少年画報社の公式サイト/2022年12月16日)
https://www.shonengahosha.co.jp/info_Info.php?id=22
https://www.shonengahosha.co.jp/images/20221216.pdf
魚拓URL:https://archive.md/65ER8
念のため文章を残しておきます。
令和4年12月16日
訃報
漫画家 聖悠紀先生が2022年10月30日(日)、肺炎により急逝されました。
享年72歳でした。
ご冥福を心よりお祈りすると共に、ここにお知らせさせて頂きます。
葬儀式はご家族のみで執り行い、後日「お別れの会」を予定しております。
詳細が決まりましたら、編集部よりお知らせ致します。
事後のご報告になりましたことをご容赦頂きたく、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
また、ご供花やお香典等はお気持ちのみでご遠慮下さいますよう重ねてお願い申し上げます。
読者の皆様、長い間聖悠紀先生の作品をご愛読頂きありがとうございました。
どうぞご自身が一番好きな聖悠紀先生の作品を思い出しながら、
静かに故人の冥福を祈って頂ければ幸いです。
ヤングキングアワーズ編集部
「超人ロック」を長い間、執筆されていた聖先生が銀河の彼方に旅立たれました。
とても⋯とても残念でなりません。
「超人ロック」は1967年、先生が17歳の時に同人会・作画グループの肉筆回覧誌への提出作品として生まれました。翌年に大学受験を控えた初秋に100ページ近い作品を完成させたのです。
「ニンバスと負の世界」がそれです。
69年に「この宇宙に愛を」。71年に「ジュナンの子」。74年に「コズミックゲーム」。そして77年に「ライザ」が描かれ、「ランデヴー」という商業誌に78年1月から5月まで「新世界戦隊」が連載され、大きな注目を浴び、79年に「週刊少年キング」誌上で「炎の虎」がスタートしました。
聖悠紀先生のすべてが始まったのです⋯。
私も「超人ロック炎の虎」執筆時に新宿抜弁天近くの岡芳マンションに何度も原稿を取りに参りました。
聖先生は若かった⋯。
少年キング元編集長/少年画報社 代表取締役
戸田利吉郎
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株式会社KADOKAWA フラッパー編集部も同じタイミングでツイッターにより訃報を伝えています。
読者の皆様へ
『超人ロック』の作者である聖悠紀先生が2022年10月30日(日)、肺炎のためご逝去されました。享年72歳でした。
心よりご冥福をお祈りするとともに、ここにお知らせさせていただきます。
2022年12月16日 株式会社KADOKAWA フラッパー編集部 pic.twitter.com/BLLobHOsy9— コミックフラッパー編集部 (@comic__flapper) December 16, 2022
【目次】本記事の内容
同人誌サークルの草分け「作画グループ」から生まれた『超人ロック』
聖悠紀さんの代表作は、SF漫画『超人ロック』(←クリックすると、アマゾンのページに飛びます)です。
これは永遠に生き続ける一人の超能力者、通称「超人ロック」を通して語られる物語で、1967年10月に「作画グループ」の肉筆回覧誌(同人誌)で『超人ロック ニンバスと負の世界』として発表したものが最初です。その後、1978年から「週刊少年キング」で『超人ロック』の連載を開始し、掲載誌を変えながら2017年10月には50周年を迎えた長寿漫画でもあります。
「作画グループ」というのは1962年に結成された同人誌サークルの草分け的存在で、商業誌で脚本・監督・キャストなどを多数のメンバーが分担する合作を発表していました。先進的な活動をしていた「作画グループ」の中でも、聖悠紀さんはひときわ輝く存在でした。
漫画についてはオフィシャルサイトもありますので、そちらを見ていただくのが早いでしょう。残念ながら更新はストップしていますが、充実しています。
こちらです。
「電脳かば」聖悠紀オフィシャルサイト
http://denkaba.com/
ちょうどトップには「超人ロック」生誕50周年を祝う会の様子が伝えられています。
2020年6月10日にパーキンソン病であることをツイッターで公表
その後、パーキンソン病にかかり、さらに他の病気で死線を彷徨うこともあったようで、残念ながら最近はハードな闘病生活を送られていたようです。
お知らせしたいことがあります。ご覧ください。 #locke_fan pic.twitter.com/gt2KHwjF2M
— 聖悠紀 (@Y_HIJIRI) June 10, 2020
読者の皆様へ
超人ロックの日へのご参加ありがとうございました。たくさんのツイートを拝見しました。このあともゆっくり読ませていただきます。今日は皆様にお知らせしなければならないことがあります。
2017年は、超人ロック生誕50周年の年で、様々なイベントを開催していただきました。大勢の方に祝っていただきました。ありがとうございました。この年は11月に蓄膿症の手術を行い、12月には心停止の末、冠動脈バイバス手術を受けました。このことは、かばマンガに描きました。それより前、5月に、精密検査を受け、パーキンソン病であることがわかりました。
バーキンソン病は難病で、少しずつ進行します。ですが、薬を飲んで漫画を描き続けることができます。
皆様にご心配をおかけしたくないという判断から、すぐに公表せずに仕事を続けましたが、いずれは公表しなければなるまいと思っていました。現在、コミックフラッバ(KADOKAWA様)、ヤングキングアワーズ(少年画報社様)2誌で「超人ロック」を連載中ですが、連載が一段落したら⋯とのんびり構えていました。ですが、最近、病気が進行し、描きたいと思う線が描けないことが多くなり、発表しなければならないと思いました。
私にとって描くということはとても大切なことです。もう以前のょうな絵を描くことはできませんが、これからもできるかぎり描いていきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
2020年6月9日 聖悠紀
パーキンソン病といえば、やはりマイケル・J・フォックスを思い浮かべる人が多いでしょう。先日、マイケル・J・フォックスの記事を書きましたので、よかったらお読みください。
参考:【マイケル・J・フォックスがアカデミー賞獲得】パーキンソン病を「奪い続けるギフト」と表現する感動スピーチ
https://27watari.com/michael-j-fox-emotional-speech
「ボルテスV」のキャラデザインを手がけたことでも有名
東映テレビ事業部が大ヒットした『超電磁ロボ コン・バトラーV』に続いて企画したのが『超電磁マシーン ボルテスV』(←クリックすると、アマゾンのページに飛びます)でした。
「ボルテスV」はターゲットを子どもだけではなく、全世代に向けた振り幅で作られたようですが、「コン・バトラーV」ほどの盛り上がりにはならなかったようです。
このときの原作者は、八手三郎(やつで さぶろう、はって さぶろう)という方で、東映映像本部テレビプロデューサーの共同ペンネームという形でした。ちなみにこのペンネームは「やってみろ」が転じたものだといわれています。特撮では「ザ・カゲスター」「忍者キャプター」「スパイダーマン」なども同じ体制で作られたようです。
そこに聖悠紀さんが『超電磁マシーン ボルテスV』や『闘将ダイモス』(←クリックすると、アマゾンのページに飛びます)のキャラクターやメカのデザインで関わることになるわけですが、原作者ではない漫画家がアニメキャラクター原案を担当する作品というのは先駆的でもあったようです。
当時のことについて調べてみると、詳しい方がツイートされていました。
こちらです。
『超電磁マシーン ボルテスⅤ』放送記念日
『忍者キャプター』で東映本社の仕事をしていた縁で漫画家の聖悠紀先生がキャラクター原案を担当。
原作者ではない漫画家がアニメキャラクター原案を担当する作品の先駆けとなりました。#今日は何の日 pic.twitter.com/UQ20uqaWLJ— エリック (@e_lehnsherr) June 3, 2017
ボルテスVのキャラデザ(原案)は、聖悠紀先生! pic.twitter.com/0Yr36i1htK
— こいずみまり (@koizumimari1) January 15, 2021
ボルテスVのLDとDVDのパッケ絵も聖悠紀先生!
聖先生に依頼した人偉い!! pic.twitter.com/rR5Vurx7hW— こいずみまり (@koizumimari1) January 15, 2021
ボルテスVのキャラクターデザイン等の原案を
担当した、聖悠紀先生のボルテスVのラフ画。 pic.twitter.com/MfkP6EqZSP— 零式艦上戦闘機五二型 (@IJNA6M5) March 10, 2020
聖悠紀先生は、未登場の多くのサブキャラクターや、獣士、スカールーク、地底城、ウルトラマグコン等の多数のサブメカの基本デザインもされていました。興味深いものが多数あります、 pic.twitter.com/RR1QJ2NDGM
— 零式艦上戦闘機五二型 (@IJNA6M5) March 10, 2020
ハイネル様の原案デザインになります。 pic.twitter.com/uZXzhh1JhZ
— 零式艦上戦闘機五二型 (@IJNA6M5) March 10, 2020
アニメのキャラデザインについて語る聖悠紀さん
貴重な当時の思い出を語る聖悠紀さんが投稿されていました。
横レスですみません。
長浜忠夫監督が編集されたロマンロボ本にこういう対談があります。 pic.twitter.com/CtR7AMXUh0— ジノン@TEAM KADZ! (@jinon4218) January 16, 2021
当時の様子を語る記事は、非常に貴重です。ポイントを箇条書きにしておきます。
<アニメのキャラデザインについて語る聖悠紀さん>
・アニメーションは「ボルテス」が初めてだったんだよね。いろいろやったなぁ…メカにキャラに怪物……
・怪物もけっこう手間がかかってね…一度六本足の狼をデザインしたんだけど、作画になった時は四本足になっちゃっててね…(笑)
・ネタになくなってくると動物図鑑をめくって…(笑)
・一番簡単に決まるのは、かわいい女の子。モメるのが、いわゆる“美女”というやつね。僕自身はスリムなタイプが好きで、グラマーは描きたくなかった
・アニメキャラを作ったおかげで、本業の漫画にも広がりが出ましたね。「くるくるパッX(ぱっくす)」にも(ダイモスのお竜を)使わせてもらったし。ありゃウケたよ
・すいぶん街へ出て研究したんですよ、女の子の服装なんかね
・メカニックはあまりやってないね…ボルテスのスカールークとかビッグファルコンとか
・結局アニメってのは、すごい自由な世界なんだよね
○亡くなった水木一郎と最後のステージに立った堀江美都子が歌う「ボルテスV」の主題歌
つい先日、水木一郎さんの訃報があったばかりです。水木さんの最後になってしまったステージと一緒にだったのが堀江美都子さんでした。
参考:水木一郎さん死去、74歳……これがラストステージの姿
https://27watari.com/mizuki-ichirou-died-74
さて、「ボルテスV」のオープニング曲がこれです。
『ボルテスVの歌』
作詞:八手三郎
作曲:小林亜星
編曲:高田弘
歌: 堀江美都子、こおろぎ’73、コロムビアゆりかご会
ちなみにエンディングは水木一郎さんです。
ボルテスV ED『父をもとめて』
作詞:長浜忠夫
作曲:小林亜星
編曲:高田弘
歌:水木一郎、こおろぎ’73
『超電磁マシーン ボルテスV』は1977年6月4日から1978年3月25日までNET(現・テレビ朝日)系で放映。東映本社と日本サンライズの製作で、長浜忠夫監督の第2作目でした。作画監督には『コン・バトラーV』に続き、金山明博や佐々門信芳、塩山紀生、高橋資祐らが担当。ストーリーが連続する大河ドラマを描き出し、とくに女性ファンからは敵司令官であるプリンス・ハイネルが熱く支持されました。
角が象徴的なプリンス・ハイネルは、ある意味では裏主人公的な存在だったようです。
超電磁マシーン ボルテスV VOL.1 [DVD]
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聖悠紀さんの訃報ニュースを受け、オールドファンによる哀しみの声が!
Yahoo!ニュースなどの声をピックアップしました。
<聖悠紀さんの訃報ニュースに対する声 >
・聖悠紀先生の『超人ロック』といえば、数々の雑誌を渡り歩きながら50年以上継続した日本屈指の長寿漫画です。1979年に活躍の場を商業漫画誌に移してからも、ファンの厚い支持は衰えず、いまだ何年かおきにファンイベントが行われています。聖悠紀先生の新作がもう読めないのは悲しいですが、ロックを愛するファンが一人でもいる限り、物語の命は絶えないと信じます
・聖悠紀さんは、約10年前に取材をさせていただく機会がありました。聖さんと言えば「超人ロック」ですが、半世紀にわたる長寿作品でありながら、どこから読んでも話が分かるように配慮している……という読者の目線をお持ちでした。話も普遍的な題材を選ぶようにしていたそうで、未読の方がいきなり手にとっても楽しめる作品だと思います。またモチベーションの持続力がすさまじく、ベテランでありながら「まだうまくなる」という強い気持ちを持っていました。そして、手塚治虫さんの影響を受けたこと、また手塚さんに直接会って話をしたことを、とても嬉しそうに語っていたことを思い出します
・聖先生と言えば、やはり『超人ロック』。
かつては得体の知れない力として描かれていた超能力をサイコ・スピアや光の剣として、恐らく世界で初めて実体化して表現したのが聖先生。掲載誌が廃刊となっても、連載が継続し続けたのも『超人ロック』が最初でしょう。掲載誌が変わるので、通しの○巻と言う表記がされなくなり、エピソード毎の巻数表記となった為、正式な単行本の冊数は分りませんが、相当な数が出ている筈
・もう40年近くも前になるが、高校生の時から『超人ロック』は読んでいました。つい最近も古書店で懐かしい単行本を購入しました。惑星をも破壊できる超能力者というとんでもないスケールの話は、漫画の中でもロックは何をするのだろう?というワクワク、期待感でいっぱいでした。また、少女漫画のような描写とドデカいスケールの内容とのギャップが、さらに夢を大きく膨らませたと思います
・「ロック」読みたさに作画グループに定額小為替を送って取り寄せたのを今でもありありと思い出します。1983年に中野サンプラザでやったフェスティバルにも行きました。ちょっと変わったコンサートでした。中学生時代、「超人ロック」は私の一部でした。限定1万部で、巻末には購買者の名前がすべて掲載されている豪華本。自分の名前があるのがうれしかったなあ。今でも宝物です
・たった1人の主人公の物語に、その作家が己れの人生から割いて費やされた全ての時間。
そしてその作家によって生み出され、文字通り時間も空間(惑星間や恒星間をも遥かに)超越して、幾星霜という表現に相応しい人生として、主人公が過ごした長い時間。小説、劇作等、時代の移ろいと共に紡ぎ出された物語は世界中に数多あれど、聖先生がその物語に費やした時間、そして“超人ロック“が物語の中で過ごした時間は、共に世界一長きに渡るものであるとしても、決して過言ではないと思う
・個人的に、ロックの一番の魅力は未来宇宙史SFって部分です。あれほど長大な歴史をあれだけ多くのエピソードで描いた作品は日本の漫画では他に例を見ない物でしょうし、世界の小説を含めた数多の作品でも、個人作家のものとしては、なかなか無いのでは。地球発祥の人類以外が登場しないというのも個人的には好みです。近年の作品(とはいえ10年くらい前)で、ニルヴァーナというエピソードなんかが顕著です。私の中ではあれが最終回でも良いかなあ。
・超人ロックは子供のころから全話読んでます。同人誌時代の「コズミックゲーム」が一番記憶に残ってますね。あと、少年キングで連載していた際はシリーズ化されていて、話が続いているのも良かったです。
超人ロックは未完になってしまい、非常に残念ですが、ラストの無いのも超人ロックならではでしょうか
・「超人ロック」の裏テーマは人口爆発。何度新しい星系を見つけてもすぐに人類が増えすぎて満杯に。戦争が起きて超能力者達が争い新天地を見つける事で解決。この繰り返し。私はこの漫画を読んで、温暖化対策、エネルギー対策、国際紛争、、、全ての問題は人口が増えすぎる事で起きる事を学んだ
・『超能力の存在の確率を下げる能力』とか新しい超能力も魅力的に描いていて好きだった
・先ほどの御厨さと美先生の訃報につづいて聖悠紀先生の訃報に接するとはまさかという思いです。お二人とも70代前半、若いとは言えないかもしれませんが今の時代にあっては早すぎるという気がしないでもないです。70年代と言えばジャンプマガジンサンデーチャンピオンとともにキングにもまだ勢いのあった時代でした。久しぶりに懐かしいお名前をこのようなかたちで聴くとは誠に残念です
・非常に残念です。少年画報社時代のコミックス。大切にしています。思えば、総決算とも言える物語を連載をされていて、思う所もあったのでしょう。ご無念だったでしょう
・闘病されてたのは知ってましたが…。「超人ロック」はロックザズーパーマンでした。ロックを知ったのが中1の時で、コミックを集めました。当時はイメージアルバムや夜のドラマハウスなどで盛り上がりましたよね。ストライクスの「星のストレンジャー」は名曲です
・「超人ロック」は実家にコミックス2巻があり、帰省の折に読み返しています。今読んでも面白いです
・これはショック。不老のロックがその長い生ゆえにどこか静謐で穏やかな瞳をしているんですよね。それでいて熱いロックは憧れの人。中高時代、世代ではないけど読み漁ってました。私にとってずっと特別な作品
・リアルな戦いの話が有れば、新開発の『洗濯機』で侵入者を撃退したり、秘密基地にいきなり就職希望者が来ておたおたする話も有って楽しかったです。盟友のみなもと太郎と漫画について語り合っていらしゃいますかね。ご冥福をお祈りします
・「超人ロック」を知ったのは高校自体、サブカル雑誌の「OUT」だった。兎に角、キャラのカッコ良さに目を奪われた記憶がある。ちょっとマンガを齧った身からすれば、聖先生とロックはある意味「憧れ」だった。同人誌から描き続けた作品がプロ誌で連載になり、アニメ化までされた。そして長くファンに愛され続けている。本当に「憧れ」でした
・中学生時代から読んでいた「超人ロック」。いま確認したら、本編が37巻、他が18巻ありました。もう、本棚の肥やしとなって10年ぐらいでしょうか、なぜかこのコミックは捨てられなかった。学生の頃は何回も何回も、繰り返して読んでいたので、また読むだろうと、本棚に鎮座されたままでした。この機会に、読み返してみようと思います
・数年前に心停止したこともあり一応覚悟して新作はロックの新作は全てチェックしていましたが、その日が来ていたんですねえ
・子供の頃、兄2人が超人ロック好きで家にありました。私は兄の影響を受けて男の子が読む漫画が好きでしたが、母からは女の子なんだから男の子漫画読まないの〜と叱られていたから隠れてコソコソ読んでました。兄達には読んでいた事はバレていたと思うけど懐かしいしです。そして他の方のコメントを読んで超人ロックファンが沢山いてウルウルします
・自分の好きなマンガの基盤、世間で超能力マンガといえば超人ロックがでてくるともいえる偉大な人がまた亡くなりました。不老不死で銀河一の超能力者で各星をまたにかけ、赤ん坊になっても若返り、活躍する超人ロックにあこがれました。あの緑色の独特の髪型はしばしばネタキャラみたいに超能力者キャラとしてオマージュされてましたね
・超人ロック、30年以上前ですが大ファンでした。単行本も少年キング連載で少年画報社のものは刊行時に毎回買っていましたが、他の出版社で刊行されたものや、他の連載誌のものはコンプリートは出来ず。スケールの大きな作品でロードレオンなど特に印象に残ってます
・『超人ロック』は少年キング創刊の時から読んでました。かつての『アニメ賛否討論』が懐かしい。聖先生はロックのイメージが壊れると反対でした。最初はラジメーションからはじまりましたが、日本アニメーションのCGでの作品化を社長に説かれ、ファンからアニメーションを望む声で『超人ロック』のアニメ化が実現し た。『超人ロックフェスティバル』で聖先生と顔拝見できました。作画グループ時代の『コスミックゲーム』のパイロットフィルムでは黒髪のロックが印象的でした。最近は聖悠紀創作50周年記念講演会で見たのが最後でした。私にとって『超人ロック』は理想のエスパーでした
・「超人ロック」は、個人的には石ノ森章太郎先生の009に近いイメージがあります。単発の掌編あり、壮大な叙事詩あり、生涯描き続けられたという点でも、まさにライフワークと言えるのではないでしょうか。初めてタイトルを知った時、凄いロックンローラーの話と勘違いしたマヌケな自分が懐かしいです
・体調が優れぬ事は数年前から少なからず記事で目にしていましたが、それでも新作の意欲は衰えず描き続けたいとの事で………超人ロックはスケールが大きすぎて読んでいた当時自分も小学生でほとんど意味がわからなかったのですが、高校の頃にOVAを見て興味が湧き改めてコミックで見るととにかく面白かった
・御厨さんといい聖さんといい、SFを得意とする作家の訃報を続けて聞くことになるとは・・・・・聖さんと言えば超人ロックだが、ボルテス・ダイモス・ダルタニアスでのキャラデザインも印象深い
・パーキンソン病だったのは知らなかった。立て続けに訃報を聞いているような気もする。人は永遠には生きられないけども、作品が残るのは素晴らしい事だと思う
・子供の頃から慣れ親しんできた方だった。最強のエスパーの物語を、年代記に仕上げていった「超人ロック」は永遠の名作だ。長谷川アニメのキャラクター原案も忘れ難い
・小学生の時に作画グループというサークルを知り、約半世紀…。とうとう、こういう日が来てしまいました…。このところ、子供の頃から親しんだアーティストの方の訃報に立て続けに触れて、「自分が過ごした時代の終焉」を感じずには居られません
・哲学的なSF作品、少年のような、老人のようなロックを生み出され、宇宙のスケールで創作されました
・掲載誌がかなりの確率で休刊、廃刊になる為、ファンのあいだでは親しみを込めて掲載誌クラッシャーのあだ名でネタにしていましたが…。小学生の時にたまたま見た超人ロックの映画で作品を知り、原作を見たいと思ってもネットの無い当時、掲載誌を探すのが大変だった事もいい思い出です
・超人ロックは自分のバイブルです。お気に入りは「光の剣」
・今時のようにオタクがメジャーではなかった太古の時代、手に入りにくい同人誌時代の超人ロックを読んでいました。バビル2世のロデムのように変身できて、美貌の歌姫の姿になったりするんですよね。両親をはじめ、私を育んでくれた人たちが亡くなっていきます。さびしいな…
・こういう記事を読むたびに自分もいつそうなるか分からないよな、と思ってしまう。
残された家族に迷惑をかけない様に身の回りの整理を進めてます
・この記事を見た瞬間、「えーーっっ!」と、絶叫してしまいました。今どきならまだ若い! 早いよ! 青春の金字塔というかロックと一緒に時代を歩めて良かったと思います。
うぅ、涙が。。
・話の続きのプロットがあれば公開して欲しいし、あれば三浦先生のベルセルク、栗本先生のグインサーガのようにだれか引き継いでほしいものですが…いろいろと難しいでしょうね
・超人ロックが未完に終わってしまった…。聖先生が構想していた誕生編は結局描かれないままだった…
・アニメのデザイン協力「(ボルテスVや闘将ダイモス)、特撮作品のコミカライズ(ダイヤモンドアイや忍者キャプター)など多岐にわたってのご活躍を目にしてきた者の一人です。本当にお疲れ様、そしてありがとうございました
・聖悠紀先生と言えば、やはり代表作は超人ロックですが、意外だったのは忍者キャプターですかね。知った時は引っくり返りましたが
・超人ロック全巻持っています。新刊の発売を首を長くして待っていましたが残念です
・超人ロックってずっと未完で続いているんだよね。私が知ってるのはオタク系マンガ誌「OUT」連載のころから。それ以前があったってことは実は後年まで知らなかった。壮大稀有な話なので、遺志を継ぐ人が出るといいな
・超能力を扱った漫画家としては始祖と言い切っても良いと思う。超人ロックは美麗ながら職人的な画で、ファンタジーでありながら人間ドラマを扱った魅力的な漫画だった
・初めて買ったイメージアルバムがロードレオン。常にコミックが出るのを楽しみにしていました。作画グループ時代の白いカバーの単行本も買い漁り、映画も観に行きのめり込んでいました。不老不死の孤独さと寂しさを考えさせられました
半世紀以上に渡って活動されてきたキャリアの長さもあるでしょうが、コメントが熱いです。
『超人ロック』50周年記念インタビュー
聖悠紀さんのデビュー当時のエピソードから、今後の展開まで語られているロングインタビューがありました。ぜひお読みになってください。
「ニンバスと負の世界」は97ページ。120ページ描こうと思っていましたが…。ひと月と少しかかったかな…。大体毎日描いていましたね。受験の年だったんで…。受験勉強は全然やらなかったですね。マンガばっかし描いてました(笑)。大学は機械科なんですが、正直な話、マンガを描く暇を作るため行っていました。勤めているととてもじゃないけれどマンガなんて描けない。大学が休みになると、大阪のばば氏のところに泊まり込んで、ずーっと描いていましたね。随分、迷惑をかけたなあと思っています。
引用:『超人ロック』50周年記念インタビュー(ebook japan/2017年5月)
https://ebookjapan.yahoo.co.jp/content/etc/choujinlocke/interview.html
魚拓URL:https://archive.md/WmlqF
では!