【目次】本記事の内容
自立(independence)
・創作には「自立」(知的独立)が必要である。
・「自立」とは、人を頼らず、甘えず、自分で考え、自分の意志で積極的に行動できること。
・「消極的」では成功しない。自分から企画を出し、売り込んで、リスクを背負うぐらいのバイタリティは必要。
《依存しない》
・むやみに人を頼る人間は成功しない。
・援助を「期待」してはいけない。期待は達成動機を低下させる。内助の功、パトロン、スポンサー、後援者、などを求めてはいけない。
・作家に「パトロン」はいらない。人間は弱いもので、人の優しさには際限なく甘えてしまう。働かず、創作せず、時間を遊びに蕩尽し、堕落して、見捨てられ、鳴かず飛ばずで、のたれ死にするのがオチである。
・「経済的ひっ迫」や「書く時間の不足」をなげく必要はない。作家を磨き、形作るのは、今の苦しみだけである。苦しみもがいている今こそが、作家として成長しているときなのだ。苦しみを喜んで受け入れよう。
・奥さんの「内助の功」で作家になれた人もいる。その作家は「あせり」や「将来への不安」があったから根気よく書き続けられたのであって、援助に心から依存していたら成功はなかったであろう。
・「ヒモ」は目的のない人間にしかなれない。
・「出版社」にも依存してはいけない。新人賞を受賞してデビューしても、出版社がじっくり育ててくれるなんてことはない。頼れるのは自分だけである。
「なまけ」の克服
・「なまけ」とは、しなければならないことをせずに、ほうっておくこと。
◆【適度なあせり】
・「適度なあせり」は、なまけ克服に有効である。あせりがあると、密度の高い集中力を発揮できる。(無我夢中)
・「タイムリミット」「締め切り」をつくる。(背水の陣)
・「書かないといけない」というあせりがあるなら、それは書くときである。
・仕事の契約(他人との約束)をする。
◆【責任をもつ】
・作品に責任をもつ。責任とは自分を仕事に駆り立てる動機づけである。作品に責任を持てばなまけることはない。
・重要なのは、責任を「義務」や「負担」のように考えないことだ。
・「責任(responsibility)」とは、語源的には「レスポンス(response)」と同じで「契約に対する応答、保証」を意味する。すなわち、決められたプランをスケジュールどおり実行することを相手や自分に「約束」することである。
・「プロフェッショナル魂」があればなまけることはない。創作は「仕事」であるという認識をもち、作品のクオリティに責任をもつこと。
・家族を食べさせていかねばならないという「責任」も、仕事の切実な動機となる。
◆【ちょっとに気をつける】
・「ちょっと」に気をつける。「ちょっとだけ○○をしよう」と考えても、そのままズルズルと流されて、やがて時間がなくなったり、疲れて寝てしまうのがオチだ。○○とは、たとえば「遊ぶ」「やすらぐ」「社交」「雑用」などである。
・「誘惑」「雑念」「気がかり」に気をつける。机のまえに座って、パソコンの電源を入れ、いざ書きはじめようとしたら、キーボードの汚れが気になって掃除したくなったり、テキストエディタのカスタマイズをしたくなることがある。このような雑念の根本的な原因は、なまけである。なんの目的で机のまえにいるのか、よく考えること。
・自分ではつまらないことだと自覚しているのに、意志に反してそれをやりたくなることを「強迫観念」という。このような不合理な強迫観念は、論理的思考によって希薄にしてゆかねばならない。
・「疲れたからちょっと休もう」と思っているあなた。ほんとうに疲れているのだろうか。いや、たいして疲れていないはずだ。睡魔が襲いかかるまで寝転がってはいけない。身体にムチ打って書き続ける以外に、作品を完成させる方法はない。
◆【惰眠(だみん)に気をつける】
・「惰眠」ほど危険なものはない。惰眠は人を「無気力」にし「書く気力」をなくさせる。
・惰眠をむさぼる理由は「書く現実からの逃避」や「書くことの先送り」である。
・眠る時間を決めること。規則正しい生活をすること。
・毎日、最低2時間は書くこと。その時間には絶対に寝ないこと。
◆【はじめの一瞬の気合い】
・「エイッ!」と気合いを入れて机に向かうしかない。創作のはじめの一瞬だけは、ストイックになるしかない。書いているうちに、創作そのものが楽しくなってくると、こうした気合いは必要なくなる。
・「書かなきゃいけない」と感じるときは書くときである。そのかすかな創作意欲に忠実であること。書くことでしか、その意欲を膨らませることはできない。
・原則として、創作をなによりも最優先にやる。たとえば、仕事から帰ってきたら、着替えるよりも、まず机のまえに座る。(落ちつかんけど)
◆【長い休暇に気をつける】
・創作にコミット(没頭)している人には、まとまった長い休暇はたくさん書くチャンスになる。しかし、創作にコミットできていない人にとって、長すぎる休暇はむしろ危険である。「のんびりやってもまだ時間があるから大丈夫だろう」と考えてぐずぐずとなまけてしまい、結局「何ヶ月も時間があったのになにもできなかった」ということになる。
・長い休暇に一気にやろうと考えず、すき間の時間を利用して、とにかく今、書きはじめることが重要だ。今やらないのは、問題の先送りである。
・書く喜びを知り、書く習慣がついてはじめて「長い休暇」を有効に利用できようになる。書けない理由を「時間がない」せいにしている人は、いつまでたっても書けないままで終わる人である。
◆【遊びについて】
・遊んでいるせいで、創作ができないのではない。遊びと創作は別物である。したがって創作のために、遊びをやめる必要はない。ただ、創作を先送りにして遊ぶのではなく、遊びを先送りして創作すればよいだけである。
・できる人は創作してから遊ぶ。ダメな人は、遊んでから創作する。
・「遊び」は「なまけ」ではない。プロの作家でも遊んでいてギリギリまで仕事をはじめない人は多い。遊びは「情報収集」であり「リラクゼーション」であり、興味や関心を発展させて啓発を得るチャンスである。したがって遊びをやめようなどと考えてはいけない。ただ、無計画に際限なく遊ぶのでなく、ほどよく遊ぶことが肝要である。
・テレビ番組、ゲーム、インターネットなどに流されて時間を蕩尽してしまう人は、いまは創作よりそちらに興味があるのだから、徹底的に遊んで自分の欲求を満たすのもよいだろう。テレビやゲーム機やパソコンをブチ壊しても、創作に専念できるものではない。書けない原因をメディアに責任転嫁しても問題は解決しない。
・創作を「遊び」と考えてもよい。子供が遊びに夢中になるように、好きでやっていることなら、なまけることはない。
◆【自分をしつける方法】
・なまけの根本原因は、少年期に甘やかされて育ったために「忍耐力」が身につかなかったことにある。だからといって、自分の不甲斐なさを親の責任にするようでは、知性ある人間とはいえない。甘やかされて育ったということは「愛」を過剰に与えられて育ったということにすぎず、文句をいう筋合いはない。自分の忍耐力は、今から自分でつければよい。
《創作の犬になる》
・なまけを改善するために「犬のしつけ」を応用する。
・まず創作をする。創作が順調にはかどり一日のノルマを達成できたら、それからすぐに遊びにゆく。この遊びが「動機づけの報酬」(ご褒美のエサ)になる。逆に遊んでから創作したのでは、しつけにはならないので注意すること。
・創作が終わったらすぐに遊ぶこと。なぜなら、ねぎらい(エサ)はタイミングが重要で、サッとその場でねぎらわれるとうれしいが、あとから取って付けたようにほめられてもうれしくはなく、効果がない。これを「オペラント条件づけ」という。
・遊ぶ時間がない場合は「睡眠」を報酬(エサ)にするしかない。しかしそれでは飽きるし、持続しない。
・手塚治虫にも寝る間を惜しんで遊んでいた伝説がある。遊びは創作の糧である。俗に「遊びを知らないやつは仕事もできない」などという。
「スランプ」の克服
・スランプとは一時的に調子が出なくなる「停滞」の状態のこと。
・「停滞」が長く続くと、創作の意欲も失われる。
・まずは「内省」の時間を作り、その原因を見つけること。
◆「悩み」「不安」が原因。
・感情的になるのをやめる。悩むのではなく「論理的思考」で原因を探り、問題を一つ一つ解決する。
・スランプに悩むこと自体、悩みに拍車をかける。
・第三者に悩みや不安を相談する。心を打ち明けられる友達を持つこと。(ソーシャルサポート)
・ただし「相談」が「泣きごと」になってはいけない。それではよけいにマイナス思考におちいる。泣きごとを聞かされる人も迷惑である。
「相談」と「泣きごと」の違いは、悩みを解決する意志が、本人にあるか、ないかである。
◆「不愉快な気分」「ゆううつ」が原因。
・心持ちを、マイナス思考からプラス思考へ。自分から「楽しい気分」を作ること。
・不愉快の原因は、とるにたらないつまらないことではないか? 自分の心の持ちようを変えることで解決できはしないか? 論理的思考を試みてみる。
◆「過度の集中」が原因。
・熱くなりすぎると、あたりまえのことが見えなくなる。
↓
・すこし気分転換して頭を冷やす。
・あせらず、クールに、客観的にながめる。
・全体の流れを把握するため、はじめから通して読み返す。
◆「忙しすぎる」ことが原因。
・適度なあせりやストレスは、創作にプラスに作用するが、過度のあせりやストレスは、マイナスに作用する。
・過度のあせりだと、やっつけ仕事になる。無難でつまらない仕事になる。
↓
・「ムリ・ムダ・ムラ」をなくす。
・「ムリ」……仕事を減らしてゆとりを作ること。依頼をなるだけ断らないことも、プロにとっては大事だが、ムリをして潰れたら元も子もない。
・「ムダ」……作品のムダ。創作方法のムダ。時間の使い方のムダ。
・「ムラ」……規則正しいリズムで創作。決まった時間に書く。毎日休まず書く。合理的に書く。遊びも、毎日ほどよく遊ぶ。
◆「プラトー」が原因。
・「自分の限界が見えた」「先が見えてる」「創作に行き詰まった」などと感じる場合、それはほんとうの限界ではなく「プラトー」(高原状態)の可能性がある。
・プラトーとは「これ以上はもう伸びない」と感じられる一時的な停滞(低迷)である。
・他人から見るとかなりのレベルに達しているのに、本人はマンネリに苦しんでいて、投げ出して辞めてしまったり、あるいはその状態に居直って、いつまでも上のレベルに挑戦しなかったりすることはよくある。
↓
・プラトーに甘んじたり、くじけたりせずに、そのまま「継続」して乗り切る。挑戦思考を持つ。
◆「情報不足」が原因。
・アウトプット(書くこと)のみにのめり込んでインプット(情報収集)がおろそかになっている。作家はつねに外部の情報に関心を向けていなければならない。自分の創作の世界だけに没頭していると、視野が狭くなり、感覚が時代とずれてくる。
◆「混乱」が原因。
・書くほどに、書くべきことが増える。
・まとめなければならないことが多すぎて、途方に暮れる。
・話の収拾がつかず迷走する。
・発散思考ばかりで、いっこうに収束できない。
・細かな枝に入り込んで、大きな柱を見失っている。
↓
・テーマを再確認する。なにを書きたいのか。主張はなにか。
・テーマをしぼる。(例)世界の軍艦 → 大日本帝国海軍の航空母艦
・優先順位の低いものを捨てる。
・優先順位の高いものだけをまとめる。
・あとは「力技」である。思考の空回りをやめて、まとめることに集中する。とにかく手を動かす。
・書いている作品が、1000枚(テキストサイズは、約 545KB)を超えても終わりが見えてこないなら、小さなテーマごとに分割してみよう。・詰め込みすぎないこと。
◆「執着」が原因。
(1) ・斬新なアイデアに執着するあまり、既存の価値観を破壊し続け、やがて自分の持ち味までも殺してしまい、なにがおもしろいのか自分でもわからなくなる。
↓
・適度な「マンネリ」は「テクニック」であり、「シリーズの連続性」や
「パターンの同一性」は読者にとっておいしい要素であると認識する。
・パターンの種類をどんどん増やし、ストックしておく。
・ときどき古いパターンも復活してみる。
・パターンの周期を臨機応変に変化させる。
(2) ・「ムダの省略」にこだわりすぎる。「濃い」作品を書こうとするあまり、究極の「単純化」に挑んでしまう。
・「美文」などの文章表現にこだわりすぎる。
・「リアリズム」にこだわわりすぎる。
・「ディテール」にこだわりすぎる。
↓
・作家に「こだわり」は必要だが、そのこだわりに潰されてしまっては意味がない。
・性格がまじめすぎるのは問題である。「中庸」に創作する。
◆「騒音・雑音」が原因。
(1)防音する。
(2)BGMの音でまぎらわせる。
(3)自分に敵意があるからよけいにうるさく感じる。つきあいも重要。
「メランコリー」の克服
・「メランコリー」とは、気がふさぐこと。悲哀感。憂うつ。突発的な無気力。
・作家を突然に襲う「どうしようもない憂うつ」。「なにも書けない」「書きたくない」「まったくやる気がわかない」などの症状。
・緊張や興奮から抜け出た弛緩状態のときに、経験することが多い。
・これらの憂うつや無気力は、一過性の症状である。しかし、それに「甘え」が加わり、ズルズルと問題を先送りしていると、症状が悪化して、創作に支障をきたすことになる。
《解決方法》
・不快だろうが、憂うつだろうが関係ない。とにかく書くこと。毎日書くこと。
・メランコリーは、気分の問題であって、行動にはなんの支障もない。まさに「気のせい」である。どんなに憂うつでも書けなくなるわけではない。書いているうちに気分がよくなることもある。
・不愉快なときに書いた部分が、もっともおもしろいシーンになることもある。
・どうしょうもないときは、ふてくされて寝てしまうのも一つの手である。それで気分が晴れる場合もある。ただし「一日だけ」である。それ以上、自分の感情を甘やかせ続けると「五月病」や「スチューデントアパシー」のような神経症に陥りかねない。
・憂うつなときには、作品の「書き直し」や「破棄」は、なるだけしないほうがよい。憂うつなときは、ただ書き足すこと。
・音楽(BGM)には気持ちを奮い立たせる力がある。
《注意》
・無気力や憂うつが、自殺をともなうほど激しいものである場合は「うつ病」や「躁うつ病」の可能性がある。これは放置しておくと大変に危険である。ただちに家族や医師に相談すること。
・「うつ病」や「躁うつ病」の原因は、セロトニンの過剰分泌とか、欲の根幹である視床下部の異常と考えられる。これらは論理的思考で改善できるものではない。
・「うつ病」や「躁うつ病」は、薬で治療できる。とにかく医者に診察してもらうこと。
「自暴自棄」の克服。
・プロの絶対条件は「途中で投げ出さない」こと。すなわち「継続」することである。土壇場(せっぱつまった場面)、修羅場(激しいたたかいの場面)、正念場(ここぞという場面)での耐性の違いが、プロとアマの境界線となる。
・「自暴自棄」の原因は「失望」と「わがまま」である。これらは非論理的な「思い込み」にすぎず、ゆえに「論理的思考」ができる大人は自暴自棄にはおちいらない。
◆【作品がつまらなく感じて投げ出す】(アマチュアの場合)
・「なんだかわからないが、どこかつまらない」と感じるなら、それは、間違いなく、つまらない作品である。
・おもしろいと思う作品だから楽しんで書けるのであって、つまらないとわかっている作品を書き続けることはできない。だから、書けなくなったあなたは正しい。
・しかし、作品を途中で投げだしてはいけない。あきらめは自信を奪う。作品を完成させる以外に「自信」をつける方法はない。
《解決方法》
・毎回、執筆する前に、それまでに書いた部分をすべて頭から読み返すこと。この手間を惜しむから、きのうの自分が信じられなくなる。
・つまらないからといって途中で投げ出すのではなく、つまらなく感じる「原因」をさがして、おもしろくする努力をする。
・全部をはじめから新しくやり直そうとするのは「投げやりな気持ち」によるものだ。よい70パーセントはそのままに、悪い30パーセントだけを書き直すこと。プロをめざすなら「効率」も考えること。
・しかし、すべてを捨ててはじめからやり直さねばならない場合もある。たとえば「キャラに魅力がない場合」は、はじめからやりなおすべきだ。
◆【人間不信で投げ出す】(プロの場合)
・「編集者が作品に口出しする」「描きたいものを描かせてもらえない」――これらは、プロのマンガ家(とくにメジャー)ではよく聞く話で、嫌気がさして辞めるケースは多い。(自殺者もいる)
・原因は「編集者との信頼関係の問題」「力関係の問題」「芸術か、商品か、認識のズレの問題」などいろいろあるが、その根底には、作家の「わがまま」がある。
《解決方法》
・徹底的に交渉してお互い「納得」する。
・徹底的に交渉して、どちらかが「妥協」する。
・本当に描きたいものは同人誌で描く。
・好きに描かせてくれるマイナー系に移る。
・小説家やアーティストなどほかの職業に転向する。
・いずれにせよ、現在の作品を途中で投げ出してはいけない。よい形で終わらせるまで、自分のわがままは封じておくべきだ。
◆【創作が苦しくて投げ出す】(アマチュア以下)
・創作が「苦しい」のは、あたりまえである。あたりまえの「苦しみ」から逃れることはできない。
・苦しくなかったら、いい作品なんて書けない。
・一番苦しいときが、あとで振り返ると、一番大切なときである。
・のらくろの田川水泡は、創作について「死のうとするような苦しみもあるよ」と、弟子の長谷川町子に語ったという。
《解決方法》――は、ない。しいていえば、
・我慢する。
・最後までやり遂げる。
・自分を信じる。
・苦しみを受け入れる。(創作の苦しみが自分や作品を磨く)
・修羅場を切り抜けるスリルを楽しむ。
・遊ぶ。そして笑う。
・自分なんかよりもっと苦労してがんばっている人間が、世の中にはたくさんいる。そういう人達を見ていると、泣きごとを言っている自分が恥ずかしくなる。
・行きづまったとき、どこかに秘密のドアが必ずある。困難をチャンスに変えるドアである。
・危機から逃げず、率先して危機の中に身を投じる。自分から矢面に立つ。(逃げたら、後頭部に矢が突き刺さったりして)
・自分の過ちに気づいたら、すべてを白紙に戻してやり直す。(決断力)