マンガ、アニメ、ゲームに関するさまざまな話題を発信している「マグミクス」にて『週刊少年ジャンプ』の歴史が紹介されていました(ジャンプ黄金期っていつ? 「多くの人の人生を変えた」歴代看板作品)。限られた文字数ながらもポイントをきっちり押さえてまとめられていましたが、やはりジャンプで育った人間としては物足りない部分もあります。
そこで、かなりの長丁場になりそうですが、『週刊少年ジャンプ』の創世記から現在までを編集部の状況も加えながら紹介してみます。
【目次】本記事の内容
週刊少年漫画としては後発だったジャンプ
『少年ジャンプ』の創刊は1968年。じつは『週刊少年マガジン』、『週刊少年サンデー』、『週刊少年キング』よりも大きく遅れてのスタートでした。ジャンプ以前には月刊誌『少年ブック』があり、そこでの連載陣は赤塚不二夫、手塚治虫、横山光輝、石ノ森章太郎、永井豪、川崎のぼる、ちばてつや、藤子不二雄、吉田竜夫といったトップクラスの方々で豪華でしたが、週刊誌に比べると勢いがありませんでした。
人気だった作品は赤塚不二夫『カン太郎』『チビ太くん』、手塚治虫『ビッグX』、石ノ森章太郎『ドンキッコ』、永井豪『ハレンチ学園』、川崎のぼる『スカイヤーズ5』、吉田竜夫『マッハGO!GO!GO!』などです。※作品名をクリックすると、アマゾンのページに飛びます(以下同)。
赤塚不二夫の『カン太郎』や『チビ太くん』などはオンデマンド版で読むことができるようです。いい時代ですね。
そして、当時の編集長だった長野規(ながの ただす)氏の社長への熱心な説得により新雑誌『少年ジャンプ』が誕生します。当初は隔週誌という条件だったようですが、最終的には月2回の発行でのスタートでした。
1968年7月11日(木)に『少年ジャンプ』創刊号が発行!
記念すべき創刊号は、1968年7月11日(木)に発売されました。公称発行部数は10万5000部で価格は90円、8作品でのスタートでした。巻頭は期待の大型新人・梅本さちお『くじら大吾』。他には、赤塚不二夫『大あばれアパッチ君』、望月三起也『ドル野郎』、永井豪『ハレンチ学園』、楳図かずお『手』といったラインナップでした。
貴重な創刊号は復刻版として発売されました。現在も入手可能です。こちらです。
復刻版『少年ジャンプ』創刊号
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◯「友情・努力・勝利」の編集方針は初代編集長が打ち出した
ジャンプの「友情・努力・勝利」という編集方針は、初代編集長の長野 規さんが決めたものです。また、集英社と専属契約を結ぶ囲い込みのようなスタイル「漫画家専属制度」、連載の判断を「読者アンケートの結果に委ねる」というスタンスなどを確立させました。とくに長野さんのアンケートを読み取る力は統計の専門家のようなスタイルでクロス集計などで読者の欲求を的確に掴み取ったといわれています。その編集スタイルは第3代目・西村繁男さんや第4代目・後藤広喜さんに受け継がれ、1994年12月末発売の1995年3・4号にて653万部の歴代最高部数を達成するまでに至りました。
『週刊少年ジャンプ』の歴史〜創成期(1968年〜1969年)の主要連載漫画
まず、大事なことから伝えておきます。1968年に創刊した「ジャンプ」という名称は、『トイレット博士』に登場するスナミ先生のモデルにもなった角南攻が適当に命名したものです。詳しくは『メタクソ編集王 少年ジャンプと名づけた男』をご覧になってください。
創刊時は月2回(第2・第4木曜日)発売でしたが、1969年10月31日から週刊化されました。シンボルマークは「ジャンプパイレーツ」と呼ばれる海賊マークで、1969年時の発行部数は77万7000部(公称)でした。ちなみに「ジャンプパイレーツ」を反時計回りに90度ほど回転させると、可愛らしい女の子「ジェイミー」が現れるんです。ご存知でしたでしょうか。
当時の代表作品は、貝塚ひろし『父の魂』(創刊号より)、永井豪『ハレンチ学園』(第11号より)、本宮ひろ志『男一匹ガキ大将』(第11号より)、ジョージ秋山『デロリンマン(元祖)』(1969年第20号より)などです。
続く……
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