つなワタリ@捨て身の「プロ無謀家」(@27watari)です。不定期で更新する「書く瞑想」です。今日は11月06日の書く瞑想です。今回の内容は「ギブ・持ち回り」です。そもそも感覚的にギブって言葉があまり好きではありません。私には合わないと思っています。そのことについて簡単に書いてみます。制限時間は15分! 一気に没入しますっ! ※実際はもう少しかかっています汗。
人間関係のギブについて考えている人……今回の内容は「ギブ・持ち回り」です。世の中には「ギブギブ精神」の人がけっこういらっしゃいます。それが悪いわけではありませんが、私には合いません。私には、「持ち回りの精神」の方がはるかにしっくりきます。今回はそんな話です。
【目次】本記事の内容
ギブギブ精神ではない「持ち回りの精神」(2020年11月06日)
今日は、「持ち回りの精神」について書きます。
最初に言っておきますが、ギブギブ精神と批判するものではありません。
私的にギブギブ精神が合わないというだけです。
まずは、その理由を簡単に書いておきます。
ギブギブ精神って、口にすることじゃないのでは?
「ギブ」といった言葉は、私的には「与える」というイメージが強すぎます。
私の歪んだ感覚かもしれませんが、「与える」という言葉は、おこがましい気がしてなりません
そもそも、私たちはあらゆるものを与えられています。
たとえば「空気」。
「空気」を地球によって与えられているからこそ、生きていられるわけです。
とはいえ……
地球は私たちに「ギブ」しているとは思っていないはずです。
私が言いたいのは、それと似たような感覚なんです。
「ギブ」の精神? 言葉にする以前に、普通のこと……
私は世の中や人間関係は、「持ち回りの精神」という助け合いで成り立っていると思います。
そこには「ギブ」なんてありません。
誰かに助けられて生きている私たちは、誰かに手を差し伸べることは普通なことだと考えています。
それが「持ち回りの精神」です。
……いかがでしょうか?
なんとなく私の考えている「持ち回りの精神」がわかっていただけたでしょうか?
先輩に奢られたら、後輩に奢ればいい!
わかりやすい例をひとつだけ書きます。
もしあなたが先輩に奢られたら、どうしますか?
いつか先輩に奢り返すことも素敵なことだと思います。
しかし、私は単純に後輩に奢ればいいと考えます。
誰かにしてもらったことを、誰かに返す感覚です。
・ ・ ・
最後に繰り返しますが、ギブの精神を否定する気はありません。
ただ、そこには即物的というか、その場の自分と相手の関係しか見えてこないんです。
少なくとも私にとっては……。
それに対して、豊かな「心の持ち回り」を意識すると、自分と相手だけではなく、悠久の歴史すら感じられます。
少なくとも私にとっては……。
だから、私は「持ち回りの精神」が大好きです。
そして、常に誰かに気持ちを渡していきたいです。
では!
自分の人生を客観的に見るために行っている「書く瞑想」です。ポジティブに生きていこうとしている人に読んでもらいたいです。少しでも悩んでいる人に役に立てたら嬉しい限りです。
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